『さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。』(新約聖書 ルカによる福音書 18:31〜34)
イエス様は救い主すなわちご自分についての預言が成就することを語られましたが、弟子たちは理解できませんでした。現在の私たちが読めば、その通りになったので理解できますが、当時の弟子たちにとって、自分の今の立場で見ていたため、これから起こることが分からず、イエス様のことばも理解できなかったのです。しかし、イエス様にはゴールが分かっていました。
それは今の私たちにも言えることです。私たちは今の自分の立場からしか物事を理解できません。イエス様と私たちは立っているポジションが違うのです。ですから、イエス様のことばを無理矢理自分の理解に押し込めてしまわないようにしましょう。信仰の成長とともに、理解できるようになるからです。
『イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。』(新約聖書 ルカによる福音書 18:35〜43)
目が見えない人が見えるようになった場面です。私たちは盲人ではないから関係のない話だと思うでしょうか。私たちは本当に目が見えているのでしょうか。人間が見ることのできる範囲はほんの一部です。しかし、物理的なことだけでなく、私たちには見えているのかどうか、次の質問に答えてみましょう。
・あなたには100年後の自分が見えますか?
100年後、私たちのほとんどは死んでいます。聖書には100年後、つまり死後の私たちの状態が書かれていますが、ある程度想像がつくでしょうか?
それなら次の質問はどうでしょうか。
・今、自分が悩んでいることは何ですか?100年後、それはどうなっていますか?
様々な問題を持って悩んでいるかもしれません。家庭や職場の人間関係、仕事、家計のこと等。しかし100年後にも残っている問題は存在しません。つまり、私たちは消えてなくなるもののために悩んでいるのです。
聖書には、私たちの体はやがて朽ちてなくなり、朽ちないものに変えられ、肉体の制約がなくなることが書かれています。肉体がある限り、私たちは罪から逃れることはできません。しかし、神様は肉体を滅ぼし、私たちを罪から解放し、キリストの体に継ぎ合わせてくださいます。今とは全く別の姿に私たちは変えられているのです。この地上ではハンディを持っている人も、天国では全く別の姿で神様に仕えているのを見て驚くことでしょう。私たちはとかく見えるところで差別しがちですが、天においてはみな変えられた姿をしています。それが分からないから互いに尊敬できないのです。私たちには弱さがあるからこそ、その弱さに神が働かれ、神様に出会うという宝になります。
この地上でのことは一時のことです。しかし、弟子たちも私たちもゴールを認識していなくてイエス様の言っていることが分からないのです。今私たちが悩んでいるものはすべてなくなるものです。しかし、なくならないものがあると聖書に書かれています。それは、信仰と希望と愛です。イエス・キリストに答えがあると信じたなら、中途半端にではなく命がけで信仰を守り、神様の御心のために生きることが、私たちの務めです。私たちがなくなるもののために悩んでいるのなら、それはむなしいことです。しかし、ゴールが分かっていれば、何をするのが一番良いか分かります。
『世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。』(新約聖書 ヨハネの手紙 第一 2:15〜17)
美しさ、名声、出世、自慢にしているもの、すべてが滅びるとあります。滅びるものに時を費やしても意味がありません。また、自分が愛されているかどうか確認することも本当は意味がありません。ゴールが分かったら、永遠に残るもののために生きましょう。そうすれば自分を見ることによるつらさから解放されます。自分にはゴールが見えていない、そう思うのなら、見えるように祈りましょう。神様は必ず見えるように助けてくださいます。 |