『さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」』(新約聖書
ルカによる福音書 9:46〜48)
自然界において、動物は本能的に自分の強さを測り、誇ろうとします。人もまた同様に自分の価値を知ることを求めます。その手段は、他人との比較、あるいは設定した目標に到達しようとすることです。弟子達も互いに比較し、どうしたらイエス様に評価されるかを考えていました。
世の中における価値基準で自分を見ると、誰もが到達できていない部分をかなり持っているものです。そこから人は、否定的な自己像を持つようになります。自分の中に自己像ができあがると、その自己像を確認する情報だけを取り入れるようになります。つまり、自分はダメだという情報だけが心に入ってくるので、否定的な自己像はますます強くなり、他の情報(神の言葉も)がもはや入らなくなってしまうのです。
イエス様は互いに比較し合う弟子達に対し、「一番小さいものが一番偉い」と言われました。世の中では通用しない考えです。しかし神様の目にそのように映るのはなぜでしょうか。そもそも、比較をすることはできないのです。私たちの目に立派に映るものは神にとっては小さな事です。しかし、小さいと思うものを大切にできた時、私たちは神様のことがもっと分かるようになります。
すべてのいのちは神様に造られ、別々に生きているのではなく、一つのいのちを共有しています。ですから、私たちは互いに競争する関係ではなく、助け合う関係なのです。自分の体の中で弱っている部分があったらそこを大切にし、助けようとするように、互いの間でも弱っている人を助けようとするなら、実は弱い部分が大切であることを知り、愛が生まれ、神様のことがよく見えるようになるのです。しかし、強いものに目を留めれば争いが生じます。
私たちが比較すればするほど、心に砦が築かれ、神様との関係に支障を来します。砦は壊されなければなりません。それにはどうしたらよいのでしょうか。
ほとんどの人が、「自分は○○のようであったら」と考えていると言われています。それは、自分を否定していることになります。しかし、自転車が自動車にあこがれてどんなにがんばっても、自動車にはなれないのです。それよりも、自転車の特性を生かして利用すれば、素晴らしいことができます。同様に、私たちも自分がどういう者なのかを、まず確認することが必要です。正しいセルフイメージを持ったなら、自分にしかできないことを探しましょう。自分を変えることではなく、自分を生かすことを考えるのです。私たちは、神様が目的を持って今あるように造られているのですから、それを変えようとしても変わるものではありません。むしろ、できることを発見してそれをやっていくことがはるかに素晴らしいのです。
このように今私たちは、神様によって生かされています。それは何と感謝な事でしょうか。しかもそれだけでなく、イエス・キリストを信じる者には、永遠のいのちが保証されています。そのすばらしさに比べたら、他のことはたいした問題ではないのではないでしょうか。神様が与えてくださっているものへの感謝をもし忘れているのなら、私たちは大切なことを忘れています。今、心の中に感謝がないのなら、私たちにとって最も重要なことは何なのか、思い起こしましょう。 |