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2005年11月27日 礼拝メッセージ
わたしのことを誰だと言っていますか
(新約聖書 ルカによる福音書 9章18節〜27節)

『さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」彼らは、答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」』(新約聖書 ルカによる福音書 9:18〜20)


群衆はイエス様を目の前にし、直接言葉を聞き、奇蹟を見たのにも関わらず、イエス様のことをヨハネだとか、預言者が生き返ったと言い、キリストだと言う者はいませんでした。彼らが待ち望んでいた救い主を目の前にしていたのに、彼らにはそれが分からなかったのはなぜでしょうか。ペテロはイエス様が救い主であることを認識していました。彼が分かったのはなぜでしょうか。同じ場面が別の福音書ではこのように記されています。


『イエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。』(新約聖書 マタイによる福音書 16:16,17)

私たちがイエス様をキリストであると知るのは、神様が示して下さるからに他なりません。

『事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』(新約聖書 コリント人への第一の手紙 1:21)


福音、聖書の言葉は人間の知恵によっては信じがたいところがあります。しかし、信仰というものは、知性や理性によって得るものではありません。100%理解したからと言って、信じるというわけではないからです。理解と信仰は別のものです。信仰に必要なのは理解ではなく、決断です。もし決断するなら、神様があなたに臨み、ご自身を示し、理解させて下さるのです。


聖書のことばが信頼できるものであることを証明することはいくらでもできます。たとえば、創世記にノアの箱船の話があります。神様が船の細かなサイズをノアに指示し、彼はそれを忠実に作りました。それは長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビトという大きさでした。時は現代に移り、造船会社が研究を重ねた結果出した、横波にも強いタンカーに最適な比率は、30:5:3。つまり、ノアの箱船と同じでした。


また、黙示録にはこれから起こることが比喩の形で預言されています。8章10,11節に、苦よもぎという名のたいまつのように燃える星が川の水源に落ち、そのために多くの人が死んだという記事があります。これが書かれた当時、世界といえばヨーロッパを指しました。ヨーロッパの川の水源の1/3が汚染された事故とは何でしょう。苦よもぎとはロシア語で「チェルノブイリ」と言います。「たいまつのように燃える」ものから、原子炉を想像することができます。ヨーロッパのみならず世界では、この記事がチェルノブイリ原発事故を指すと広く認識されています。


こういった記事は、聖書の正しさを裏付ける客観的事実として分かりやすい例ですが、それを知ったからと言って誰もが聖書を信じるわけではないのは、先にも述べたように、信じるのは理解によるのではなく、決断によるからです。


『イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』(新約聖書 ルカによる福音書 9:23)


「自分を捨てる」とは、支配をやめるということです。私たちは何かを支配(自分の思い通りにしようとすること)して生きています。支配しているものに身を委ね、そこから安心を得ようとしているのです。神様が私たちに望んでいるのは、人や物を支配するのをやめ、神様に身を委ね、神様から安心を得る生き方です。


「十字架を負う」とは、イエス様が経験したことを経験する覚悟をすることです。イエス様の十字架は恥と苦しみと死を意味します。イエス様に従って生きることで、恥を受け、苦しみ、死に追いやられることがあることを覚悟してついて来なさいという意味です。


『自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。』(新約聖書 ルカによる福音書 9:24,25)


ここで言う「いのち」とは、肉体ではなく心のものです。神様が与えるいのちです。人が考える救いの道は、支配欲を満足させること(願望を満たすこと)です。しかし、それはいのちを失うことだとイエス様は言われます。


『もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」』(新約聖書 ルカによる福音書 9:26,27)


神様を恥とするなら、神様もその人を恥とされます。神の国は、この地上においては教会を指します。教会はイエス様が天に昇られた後に誕生しました。ここでイエス様は弟子達に、これから教会が生まれ、多くの人が救われるリバイバルを見ることになると励ましを与えているのです。



神木イエス・キリスト教会


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