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2005年11月13日 礼拝メッセージ
苦しみの原因
(旧約聖書 創世記より)

私たちが怒る時、その原因のほとんどは対人関係です。そして怒っているのは相手のせいだと認識しています。しかし本当にそうなのでしょうか?怒りの本当の原因を知るために、まず、人間とはどういう存在なのかを見ていきましょう。


創世記3章には、最初の人であるアダムとエバが、たった一つ、神から食べてはならないと言われていた木の実を、蛇に誘惑されて食べる場面が書かれています。そして、この行為に対する神様の罰が蛇、エバ、アダム、それぞれに対して与えられました。


罪を犯す以前のアダムとエバは神様によって生きるために必要な全てのものを与えられ、何も心配する必要がありませんでした。しかし神様から言われたことを守らなかったにより与えられた罰で、彼らとその後のすべての人間の置かれる状況は大きく変わりました。


『神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。・・・あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」』(旧約聖書 創世記 3:14〜19)



この罰は、神様との関係が断ち切られたことを意味します。神様にすべての必要を満たしてもらい、自分の命を預けていたのを、今後は見えるものに自分の命を預けて生きなくてはならなくなりました。夫は自然、自分で得る農作物に、妻は夫に。それはまた、見えるものに要求をし、支配しなくては生きられないようになったことをも意味します。こうして人は支配欲を持つようになり、その対象が思い通りに動かないことから、怒りが生まれました。つまり、怒りの原因は支配欲です。


支配欲は人が生まれてからの成長過程において常に表れています。赤ちゃんは泣くことで怒りを表すことにより、親を支配しようとします。そうやって世話をしてもらわなければ生きていけないからです。幼児になると、泣くだけではなく、親が気に入ることをすると親が動いてくれることに気づき、いい子になろうとします。それも親を自分のものにしたいという支配欲の表れです。小学生ぐらいになると、友達に対する支配欲も生まれ、青年になると、恋人に対する支配欲が生まれ、結婚し夫婦になると、お互いを、そして子供を支配しようとします。

アダムとエバがこうして罰を受けた後、この支配欲によって悲劇が起こりました。


『アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。』(旧約聖書 創世記4:2〜8)


アダムとエバの息子、カインは歓心を買いたい、自分が認められたいという思いからささげ物をささげましたが、神様が目を留めたのは、弟アベルのささげ物でした。自分の思い通りにならなかったことを見て、彼のうちに怒りが生まれ、そして殺人という罪に至りました。


殺人や盗みといった、表面的に表れる罪は分かりやすいものです。しかしそれは氷山の一角にすぎません。表面に出ても出なくても、根は同じ支配欲であり、私たちはみなそれを持っています。赤ちゃんの時に怒りによって親を支配していた同じ支配欲が私たちの中に変わらずにあります。人に対して、物に対して、ほしい物をすべて支配したいという欲求があります。それは安心を得るためです。しかし、ほしい物を手にして得られるのは安心ではなく、むしろ恐れが増すのです。


世の支配者は名誉や富を手に入れてもなお、自分の立場を脅かす存在が現れることを恐れ、その結果大量殺戮を行いました。イエス・キリストの誕生を恐れたヘロデ王しかり、ヒトラー、スターリンしかり…。支配欲は常に恐れを伴います。ですから、心に怒りや恐れがあるのなら、その相手や物を支配しているということに気づく必要があります。


福音は何と言っているのでしょうか。アダムとエバの違反によって絶たれていた神様との関係が回復したと告げているのです。神様との関係が絶たれてから、見えるものを支配しないと生きてこれなかった人間は、支配欲によって苦しみを増していきました。その解決は、絶たれていた関係の回復です。この回復のために、神様が与えて下さった道は、罪をゆるすためのイエス・キリストの十字架でした。私たちが他人や物を支配していたことを悔い改め、十字架によるゆるしを受け入れる時、失われていた神様との関係が回復し、もはや支配する必要はなくなります。神様が本当の安心を与えて下さるからです。


神様にゆるされた私たちがすべきことは、長年おこなってきた「支配」という古い習慣と戦うことです。この古い習慣が私たちを苦しめるからです。では、どのように戦ったらよいのでしょうか。


1.仕える

イエス様は何度も弟子達に「仕える者になりなさい」と言われました。例外なくすべての人に対して、神様は仕えることを命じておられます。しかもうわべだけでなく、心から仕えるように言われています。ほめられたいからではなく、純粋な動機を主は求めておられます。

『妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。・・・夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。・・・子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。・・・父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。・・・奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 5:22〜6:7)

『・・・あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。』(新約聖書 ルカによる福音書 22:26,27)



2.怒りをおさめる

『柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。知恵のある者の舌は知識をよく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。』(旧約聖書 箴言 15:1,2)

優しい言葉を用いることによって、怒りをおさめることができると書いてあります。自分が怒っていることが分かれば有効な方法でしょう。しかし、自分に怒りがあることに気づかない場合もあります。怒りはそのまま表面に表れればわかりやすいのですが、別の形に変わって出てくるものがあるからです。たとえば、自傷行為、反抗心、嫉妬、ねたみ、傲慢、等です。それらに共通するのはいやな気持ちになるということです。私たちは小さい頃に親を支配したかったのに思うように支配できなかった経験を誰もが持っています。それで、怒りが内に存在し続け、表面的にはいい子でいても、別の形で表れてしまうのです。ですから、まずは自分の中に怒りがあることを見つけることが大切です。その怒りを解決するのは悔い改めです。自分の支配欲から人を憎み、怒っていたことを悔い改めましょう。そうすれば、神様が処理して下さいます。それには神様と正面から向き合い、知識ではなく人格的に交わる必要があります。〜で苦しい、つらいということを神様に告白し、悔い改めへと導かれていきましょう。


3.委ねる

これは、大きく2つのことがあります。1つはお金に関することです。聖書には収入の10分の1を神様のものとしてお返しすることが書かれていますが、神様がお金を必要としているからではありません。これは、私たちが自分を委ねるための訓練です。神様が必要を満たして下さることを知るためです。

もう一つは人間関係についてです。赤ちゃんの時に親を支配することから始まり、頼りにする人を支配してきましたが、これからは神様に頼ればいいので、人を支配する必要はありません。

聖書には「恐れるな」ということばがたくさん出てきますが、これは、神様に委ねる時、今まで支配していたことを手放す時に来る恐れに対して、神様が私たちに語って下さっている言葉です。そして、委ねた結果、私たちは今まで手にしたことのない平安という義の実を得ます。これまで委ねなかった結果得てきたいろいろな苦しみから解放される道なのです。



神木イエス・キリスト教会


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