『イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のためにそばへ近寄れなかった。それでイエスに、「あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、外に立っています。」という知らせがあった。ところが、イエスは人々にこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行なう人たちです。」』(新約聖書 ルカによる福音書 8:19〜21)
イエス様にとって、家族とは血のつながりではなく、神様の言葉を聞いてそれを行う人のことです。ですから、イエス様は血のつながりのある家族を特別扱いしませんでした。イエス様は私たちを信仰の家族としてくださいます。
『そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」』(新約聖書 ルカによる福音書 8:22〜25)
この箇所を通して、神様は私たちに次のことを語っておられます。
1.神はあなたに道を示される
イエス様は弟子達に「湖の向こう岸へわたろう」と言われました。神様は私たちにビジョンを与え、行く道を示してくださいます。
2.できることを始める
弟子達はイエス様の言葉を受けて舟を出しました。与えられたビジョンに対し、自分にできることから始めましょう。
舟を出すと、イエス様は眠ってしまわれましたが、なぜでしょうか。これは弟子達がイエス様を必要としなかったからです。私たちも、できることをやっていくうちに神様を忘れてしまいがちです。そして自分の力に頼るという過ちを犯し、自分に力があると錯覚するのです。そのように傲慢になると、神様は試練を与えられます。ちょうど弟子達が突風にあったのと同じです。弟子達は慣れた湖を簡単に渡れると思っていました。しかし、ここで自分たちの無力さと傲慢であったことに気づきます。
3.神様のもとに立ち返る(悔い改め)
弟子達は自分たちの手に負えなくなり、イエス様を起こしに行きます。私たちも自分の無力さ、傲慢さに気づいたなら、それを神様の前に悔い改める必要があります。
私たちの無力さ、傲慢さゆえに、私たちは試練にぶつかります。それは避けることができません。問題なのは試練にぶつかったことよりも、試練の時にどう対処するかです。私たちはどのように対処したらよいのでしょうか。
1.悔い改め
私たちがまずしなければならないのは悔い改めです。これが私たちの成長の鍵です。
2.つぶやかない
弟子達は突風にあった時、イエス様に「おぼれて死にそうです」と否定的なつぶやきをしてしまいました。しかし、信仰は望んでいることを告白します。彼らはこのように言うこともできたでしょう。「イエス様、あなたは嵐をおさめることができると信じます。」つぶやくことは簡単にできます。しかし、神様の前につぶやかないことは本当に大切なことです。
3.信仰を語り続ける
私たちを造っているのは私たちの語る言葉です。試練の時こそ本当の自分が出ます。その時、信仰を語るなら、私たちはその信仰の言葉によって形造られます。
4.忍耐
約束の物を手に入れるために必要なのは忍耐です。ただ神様を信頼して待ち望みましょう。
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