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2005年10月9日 礼拝メッセージ
種まきのたとえ
(新約聖書 ルカによる福音書 8章1〜18節)

『さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。

「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。また、別の種はいばらの真中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれた。

さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。

道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。』(新約聖書 ルカによる福音書 8:4〜15)



イエス様は群集に対し、いつもたとえを用いて話されました。たとえの意味が分からなかった弟子達がイエス様に尋ねると、イエス様は解き明かして下さいました。イエス様は私たちが分からないことを尋ね求めるなら解き明かして下さいます。


このたとえを通し、イエス様が私たちに語っておられることは何でしょうか。御言葉に対しての反応の4つのパターンを具体的に見ていきましょう。


1.道ばたに落ちた種

御言葉が道ばたに落ちるとは、聞く耳を持たない人のことです。自分だけの世界が作り上げられ、その中に誰も入れないことです。私たちはとかく、自分の知識や経験の中に物事を押し込めて理解しようとしてしまいます。しかし、私たちの知るところは、全体のごく一部であり、神様の存在はその中におさめることなどできません。神様を知るには、自分の知識や経験で理解しようとするのではなく、聞く耳を持つことが大切です。イエス様はいつも聞く者になるよう言われました。


2.岩の上に落ちた種

これは御言葉を聞くだけで実行しない人のことです。実行しなければ御言葉は根ざすことができず、だめになります。そういう人は、神様のうちにではなく、見えるものに幸福を求めます。


3.茨の中に落ちた種

御言葉を聞いて実行するが、罪の悔い改めのない人のことです。私たちは日々罪を犯します。それを悔い改めないままにしておくと、私たちの成長はふさがれるのです。それは雑草のようなもので、必ず生えるのですが、抜き続ける必要があり、抜かなければ植物は枯れてしまいます。罪を放っておくと、私たちに実はなりません。御言葉を実行し、奉仕を熱心にやっていれば、実がなっているように見えるかもしれません。しかし、自分の力で努力してやっているのなら、必ず行き詰まります。愛に生きることの原動力は、悔い改めだからです。


あなたにとってクリスチャン生活は楽しいでしょうか、それともつらいでしょうか。自分の弱さを隠すために、自分の努力でがんばり、人から認められるためにどんどん自分のハードルをしているなら、つらいものです。しかし、自分の弱さを認め、罪に気づくたびに悔い改め、赦された喜びがあるなら楽しいのです。


4.良い地に落ちた種

良い地とは、罪深さ、弱さを知り、悔い改める人です。あなたに罪がないというのなら、わたしはあなたと関係がないとイエス様は言われます。私たちが悔い改め、私たちの弱さの中に神様が働かれることによって、多くの実がなります。


『あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。』(新約聖書 ルカによる福音書 8:16〜18)


あかりとは神様の言葉のことです。神様の言葉を受け取った私たちがそれをどこにおくのか、私たちに責任があります。良い地になるには、まず「聞くこと」が原点です。そして、「聞き方」が重要になります。悔い改めをする人は、素直に聞きます。自分のちっぽけな知識や経験の中に押し込めて聞くのではなく、素直な柔らかな心で、御言葉を聞き、罪に気づくたびに悔い改め、それを続けていくなら、私たちは多くの実を結ぶ者となります。



神木イエス・キリスト教会


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