『また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け。」と言われた。するとその悪霊は人々の真中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。』(新約聖書 ルカによる福音書
4:33〜35)
ここに悪霊につかれた人が出てきます。悪霊とはもともと天使でしたが、神に反逆して神の国を追放され、ことごとく神に逆らうものとなりました。そして、人を神から引き離すために影響を与えます。そのために悪霊につかれるということが起こるのですが、それはどのような状態なのでしょうか。
私たちクリスチャンはイエス・キリストを救い主として心にお迎えし、その時から主は私たちの心に住んで下さっています。主が私たちのうちに住んで下さっているのは、主が一方的に入ってこられたのではなく、私たちが心を開いたからです。悪霊につかれるとは、同じことを悪霊に対してすること、つまり、悪霊に心を開き迎え入れてしまった結果、悪霊が心に住みつき、その人を支配していることです。ですから、私たちが心を開かない限り、悪霊が私たちに住み
つくことはありません。しかし、外からの働きかけをしてきます。では、悪霊はどのように私たちに働きかけるのでしょうか。
悪霊の頭であるサタンがイエス様を誘惑した時、いろいろなアプローチをしていましたが、言っていたことは常に「私を拝め、そうすれば力を与えよう」という内容でした。これは私たちに対しても同じです。「力が欲しくないか。欲しいなら私の言うことを聞け」とサタンは私たちに対して囁くのです。サタンがエバを誘惑した時も、「あなたは神のようにすべてを判断するようになる」と言って、神の言葉に逆らわせました。私たちに対しては、例えばなかなか祈りが聞かれないと思う時、神ではない者から願いを叶えてあげようという囁きがあるかもしれません。それを求めてその声に聞き従ってしまうなら、悪霊を心に受け入れてしまうことになります。
ではサタンにだまされないために、私たちはどう戦うべきでしょうか。
1. 罪(自分の過ち)をサタン(あるいは他人や周り)のせいにしない
それはサタンの思うつぼだからです。人が神に近づく唯一の道は、自分の罪を悔い改めることです。ですからサタンはそれをさせないように、罪を隠させ、それをどうでもよいことと見せかけ、神に対してご利益だけを求めさせます。しかし、イエス様は自分を罪人でないとするならその人はイエス様と関係ないと言われました。
2. 御言葉で戦う
サタンは間違った思いを心の中にどんどん増幅させます。ですから、いつでも聖書になんと書いてあるかに立ち返り、それを心の中で反復する必要があります。
3. 賛美と祈り
賛美をしている時は、心の中が神様への思いで満たされ、悪霊のつけ入る隙がない状態です。ですから、賛美を用いていくことは、私たちにとって良い助けとなります。
『・・・シモンのしゅうとめが、ひどい熱で苦しんでいた。人々は彼女のためにイエスにお願いした。イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。』(新約聖書 ルカによる福音書
4:38〜40)
病のいやしについて書かれていますが、病を治すことはいつでも神の願いです。その方法は、神様が直接いやす場合もあれば、薬(医学)によっていやされる場合もあります。薬草を作ったのも神様ですから、薬を使うことは不信仰なことではありません。いずれにしても神様によっていやされるのであって、私たちは神様にいやしを求め、いやされたことを神様に感謝するのです。
『また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。』(新約聖書 ルカによる福音書
4:41)
イエス様は悪霊をだまらせました。それはイエス様が誰であるかをよく知っていたからです。カルト宗教の教祖たちは自分がいかに力を持っているかということを懸命にアピールします。しかし、イエス様はご自分のことを隠そうとされました。それはなぜでしょうか。先にも触れたように、私たちが神に近づく道は罪を悔い改め、赦されることです。罪の赦しは神にしかできないことであり、神は何よりもそれを人に与えたいのです。しかし人は、この方が神だと分かると、赦しではなくご利益を求めて集まりがちです。それは神様の意図する所ではありません。イエス様が地上に来られた目的は明確で、それは人々が欲しいものを与えることではなく、人々を心の苦しみから解放することです。それを与えるために、あえてご自分のことを吹聴させることをやめさせたのです。
神様は病をいやされますが、病のいやしというのは一時的なものであり、神様の目的はむしろ完全ないやしにあります。人はいつかは死ぬもので、寿命を延ばすことはできません。しかし、神様が与える永遠のいのちには病などありません。神様は全ての人に永遠のいのちを与え、御国に入れるようにしたいのです。しかし、ただご利益を求め、真の救いを求めるのでなければ、イエス様の所へ行っても意味がありません。神様は一時的なご利益ではなく、ほんとうの愛を知らせようとしておられるのです。 |