メッセージ集TOPへ
2005年5月29日 礼拝メッセージ
あなたは何に仕えて生きていますか?
(新約聖書 ローマ人への手紙 16章17,18節)

『兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。

そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 16:17,18)



ローマ人に対するパウロの手紙の最後に書かれている言葉です。当時、パウロがイエス様から受けた恵みの教えとは違うことを教える人たちがいました。現代においても、分裂という問題は起こります。キリストの体は一つですから、分裂はあってはならないことです。ですから、このことに対しては厳しく対応するべきことが書かれています。


18節に「そういう人たち(分派を起こす人たち)は、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えている…」とありますが、もし「あなたは何に仕えているのか?」と問われたら、あなたは何と答えるでしょうか。キリストに仕えているのでしょうか。それとも自分の欲に仕え、自分を満足させるために生きているのでしょうか。正直なところ、もし自分の欲に仕えているというのであれば、分裂を起こす人と同じものを持っていることになります。


私たちは何のために生きているのでしょうか。そう問われて明確に答えられないのであれば、人生の歩みはうまくいきません。クリスチャンであるということはどういうことなのか、上辺だけでなく本当のクリスチャンとして生きるために、人生の目的、中心のずれを修正していく必要があります。


クリスチャンの人生について、イエス様はこう語っておられます。


『いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。』(新約聖書 マルコによる福音書 8:35〜37)


自分のいのちのために生きるなら、いのちを失い、神と福音のために生きるなら、いのちを得る。すなわち、クリスチャンは自分のためでなく、神のために生きる者であると教えられました。キリストの弟子であるパウロはその教えを受けて、このように書いています。


『私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 6:4)


『しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 6:22)


何がキリストともに葬られたのでしょうか。それは、自分の欲に仕える生き方です。新しい歩みとは、キリストに仕える生き方(パウロは好んで神の奴隷と表現します)になったということです。神が私たちに仕えるのではなく、私たちが神に仕えるのです。その中で困難にぶつかる時、神は私たちを助けてくださる、そのために共におられるのです。


『もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 14:8)


この言葉をあなたは自分の言葉として告白できるでしょうか?もし告白できないのなら、生きる目的が、ずれているのです。分派、分裂といったこと以前に、私たちの人生の中心が何なのか、互いに注意している必要があります。


パウロの人生は多大な功績を残しました。(異邦人にイエス・キリストが宣べ伝えられ、教会が建てあげられ、新約聖書が書かれた。)その理由がこのことばにあります。


『私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。』(新約聖書 コリント人への第一の手紙 9:23〜26)


パウロは「福音」という明確な目的を持って生きていました。だから前に進み続けることができたのです。私たちの心には限られたスペースしかありません。もしそこに、過去を悔やんだりさばいたりといったもやもやした思いを入れ続けていれば、それは重荷となり、前に進むことを妨げます。イエス様はその重荷を貸しなさいと言われました。私たちは後ろのものを捨てていかなければ、前に進めません。それらの重荷をイエス様に預け、聖書のことばを通し、私たち一人一人が今生きている目的を見出し、それを人生の中心に据えて生きることを、神は望んでおられます。



神木イエス・キリスト教会


神奈川県横浜市青葉区新石川4-22-7
電話:045-914-5455 ファックス:045-914-5508
Email:info@shiboku.net

| HOME | 教会紹介 | 集会案内 | 会堂紹介 | 地図 | メッセージ集 | NOAHの活動 | ENGLISH |