『さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」』(新約聖書 ルカによる福音書 24:49)
これは復活されたイエス様が天に昇られる前に弟子達に語られたことばです。約束してくださったものとは何でしょうか。
『わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。』(新約聖書 ヨハネによる福音書
14:16〜17)
神様が私たちに約束してくださったものとは、御霊が私たちの内に住まわれることでした。御霊とは助け主、聖霊様とも呼ばれます。父なる神様、子なる神様(イエス様)、御霊の三つの位格が一つとなって神様を形成しています(三位一体)。ですから、御霊は神様ご自身なのです。
『…聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』(新約聖書
使徒行伝 1:8)
聖霊様が私たちに臨まれ、ともに住まわれるとき、私たちは力を受け、イエス・キリストの証人となります。私たちはイエス様のために何かしたいと思いつつ、力がなくてできないということはないでしょうか。私たちは聖霊様による力を受ける必要があるのです。これは救いのための条件ではなく、神様のために生きるための神様が与えてくださる力、賜物です。神様はその賜物を待ちなさいと言われました。
弟子達が聖霊様を受けたときの様子が次に書かれています。
『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。』(新約聖書
使徒行伝 2:1〜4)
聖霊のバプテスマの出来事は、私たちの常識からするとあり得ないことです。しかし、神のことばを私たちの小さな体験の中に押し込めてはいけません。理解できないからと言って批判してはいけません。理解できなくても、素直な心で御言葉を受け止めるなら、理解できるようにしてもらえるのです。すぐには分からなくても、分かる時が来ます。
弟子達はかつてイエス様のことを見捨てて逃げました。しかし、この聖霊のバプテスマを受けてから、彼らは180度変わり、イエス・キリストの証人として伝道を始めました。私たちもこの賜物を受け取ることができます。そのために必要なのは次のことです。
『わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」』(新約聖書
ルカによる福音書 11:9〜13)
聖霊を求める者には必ず与えられると書かれています。それなのに、私たちはこの素晴らしい賜物を自分の経験に収められず、常識がじゃまをします。しかし、イエス様が語られたことばを素直に受け止め、この賜物を求めるなら、聖霊様は私たちの内に住んでくださり、私たちの力となってくださいます。 |