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2005年3月13日 礼拝メッセージ
神の選び
(新約聖書 ローマ人への手紙 9章前半)

『私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。・・・』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:2〜5)


イエス・キリストが救い主として与えられるという約束を与えられ、その恵みに預かることができるのは、ユダヤ人のはずでした。しかし、イエス様が現れたとき、ユダヤ人の多くが拒絶し、神様が与えようとしていた恵みをすべて拒否してしまいました。そのためにパウロには悲しみがあるのです。


『…アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」

このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:6〜12)



神の子とされるのは、血筋によるのではなく、約束によるとあります。アブラハムには女奴隷ハガルによるイシュマエルと妻であるサラによるイサク、2人の子がいました。しかし、神がアブラハムの子孫として認めたのは、神がアブラハムに与えると約束された子であるイサクでした。イサクの子も同じように、神が子孫としたのは、兄のエサウではなく弟のヤコブでした。彼らが子孫として認められたのは、彼らの行いが良かったからではなく、神が選んだからでした。


同じように私たちが救われたのも、私たちの行いが良かったからとか、努力したからではなく、ただ神の恵みです。神は私たちに約束を与えてくださいました。それは、イエス・キリストを救い主として信じる者を、アブラハムの子孫として認める、すなわち救いに預からせるということです。ユダヤ人でなくとも、血筋に関係なくすべての人が信仰によって救われる道を与えられたのです。


『それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。…神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:14〜18)


すべてのことが人間の願いや努力ではなく、神の意志によってなる…これを神の主権と呼びます。そうすると、神は不公平ではないかという疑問が出るでしょう。


『しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:20〜23)


実は神に文句を言うのは筋違いです。それは、私たちは神に造られた者にすぎないからです。神が何をどうしようと私たちに文句を言う権利はないのです。人は「今」という考え方しかできないので、すぐに文句を言います。しかし神はすべてを神の栄光のために計画しておられます。その根底に流れるのは私たちへの愛です。


もし、私たちが神に働きかけ、その計画を変えることができるなら、救いは私たちの努力によることになり、私たちはそれを誇り、また人を行いによってさばくことになります。この行いの世界で私たちは今まで苦しんできたのではないでしょうか。

また、次のような疑問も出るかもしれません。「神がすべてを決めているなら、人が悪いことをしたら責任を問うのはおかしい。」


人は神によって造られ、自由意志を与えられました。そして、これは悪いことで、これを行えば罪であり、罪を犯したら死ななければならないということを、神から注意を与えられていました。しかし、私たちはみなその注意を守れなかったので、壊されるはずでした。しかし、壊されるべき者を神はあわれみ、生かしてくださる道を与えてくださいました。神は、イエス・キリストを救い主として信じる私たちに対し、もう罪を問わないと言われ、さらに永遠のいのちを与えてくださいました。


このような恵みを受けていながら、つぶやくことは考えられないのでしょうか?神は宇宙のすべてを支配し、保っておられる方です。その方に対し、造られた私たちは何かを言える身分ではないのです。神には間違いがありません。神から与えられている恵みを思い、ただ神に信頼していましょう。



神木イエス・キリスト教会


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