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2005年2月27日 礼拝メッセージ
御霊が住まわれる
(新約聖書 ローマ人への手紙 8章前半)

『こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:1)


7章では、私たちが矛盾した存在であることを見ました。神様に従いたいと願うと同時に、従わない自分を発見するのです。パウロは私たちのうちに罪が住みついていると言っています。神学的にはこれを原罪と言います。しかしここで、キリスト・イエスにある者は、もう決して罪に定められないとされました。


『なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:2,3)


人は律法を守ることによって救われることを求めましたが、律法は人を救うどころか、罪に定めることしかできませんでした。律法がなしえなかった救いを、神様がイエス・キリストを通して成し遂げてくださいました。私たちの罪をイエス・キリストに背負わせ、イエス・キリストを処罰することによって、私たちの罪を処罰されたからです。


『それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:4)


肉に従うか、御霊に従うか。私たちはどちらを判断基準にしているでしょうか。自分を中心に、自分の損得を考えて判断するのは、肉に従うことです。それに対し、神様に喜ばれること、神様を中心に判断するのが御霊に従うことです。「律法の要求が全うされる」とありますが、律法の要求とは、私たちが神様に従うことです。昔の人々は、祭司を通して神と交わることしかできませんでした。しかし、今は直接神様に聞き、従うことができます。


『肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:6)


肉に従って自分のために行うことはすべて滅んでいきます。しかし御霊に従って行うことは後に残り、引き継がれていくのです。


『けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:9)


1節の「キリスト・イエスにある」とは神の御霊がうちに住んでいるということです。つまり神様がともにおられるということですが、それはどういうことなのか、具体的に見ていきましょう。


1.あなたはキリストの所有物である

神様があなたを造られ、ご自分の住まいとされました。それなのに、本来神様が住むべきところに自分や人を持ってくるから矛盾が生じます。私たちの生きる意味は神様にあるのだと分かれば、道は明確になります。また、私たちが神様のものであるなら、私たちの問題も神様のものです。神様にお任せすれば、神様がすべてを管理してくださいます。神様は決して私たちを他の誰にも引き渡されません。


2.死後に復活する

『もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:11)


3.肉の行いを殺し続ける

『もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:13)

私たちの心には様々な雑草が生えます。それを放置しておくと増え広がって大変なことになってしまうので、抜き続ける必要があります。「怒り」もその一つです。これは人との違いを受け入れられないときに芽生えるものですが、放置しておくと「憎しみ」になります。早く「怒り」を抜く必要があります。自分の力では抜くことができませんが、御霊によって抜くことができます。雑草が完全になくなることはありませんから、御霊によって抜き続けるのです。

4.神の子供である

『神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:14〜16)

祈るときに神様のことを「天のお父様」と告白できるのは、私たちが神の子としての身分を与えている証拠です。神様がうちにおられることを御霊が証ししているのです。


5.希望がある

『もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:17,18)

神を信じれば、迫害を受けます。そこには苦しみも伴います。それはキリストの共同相続人である証拠です。しかしそこには喜びも伴います。どんなにつらい状況でも、神様が与える希望によって、私たちは押し出され、進んでいくことができるのです。私たちがあきらめてしまうときも、神様は決してあきらめません。

私たちはキリストにある者としてこのような素晴らしい恵みの中に置かれています。



神木イエス・キリスト教会


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