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2005年2月20日 礼拝メッセージ
自分を責めては行けない
(新約聖書 ローマ人への手紙 7章)

『それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。…』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:1)

『…あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:4)


死んだ人に対して、法律が無効であるように、律法もまた、死んだ人に対しては効力がありません。律法は私たちを死に追いやりました。(6章23節)私たちはキリストと共に死んだ者です。ですから、律法はもはや私たちに対して効力がないのです。つまり、私たちを罪に定めることはできないということです。では、律法は私たちをただ苦しめるだけの悪いものなのでしょうか。


それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。


『しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:7〜10)


かつて私たちは律法を守ることで救われると思っていましたが、律法は救いではなく、律法を守ることのできない私たちを罪に定め、死へ追いやるものでした。しかし、律法がなければ、私たちは自分が罪人であるという現実を知ることはありませんでした。


『ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:12,13)

『…私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。…ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:14〜17)


私たちは神様に従いたいと願っていますが、律法によって別の自分、罪が自分の中に住んでいることに気づきます。それは、神様に従いたいという願いに反して、悪いことを考え、しようとする心で、原罪といいます。この悪い虫が、罪を犯すのです。


『私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。…すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:18〜23)


私たちは神様を礼拝し、神様に従いたいと願い、賛美しながら、同じ口で神様に喜ばれないことを語り、神様に従わない行動をします。このように人間は矛盾に満ちています。パウロ自身もそのことを痛感し、このように言っています。


『私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:24〜25)


神様は私たちが矛盾したみじめな存在であることをご存じでありながら、もう罪を問わないと言ってくださいました。私たちが感謝すべきなのはこのことです。私たちがどんなに罪深くても、神様はもう決して私たちの罪を問わないでいてくださるのです。


この7章を通して、私たちに語られているのは次のことです。


1.自分を責めるな

神様は私たちのすべてを分かっていても、あえて責めないのです。ですから、自分も他の人も、責めてはいけません。


2.賜物を用いよ

これは次の聖句によります。

『しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 7:6)

当時の人たちは、自分たちで聖書を解釈して作った様々なルールによってしばられ、いつも心はルールを守ることに縛られ、人をさばいていました。しかし、神様は律法に仕えることから解放し、御霊によって神様に仕えるようにしてくださいました。御霊は私たちに賜物を与えます。ですから、御霊によって仕えるとは、神様のために賜物を用いることです。そのことにいつも心を用いていくなら、行いも自然についてくるものです。



神木イエス・キリスト教会


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