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2005年1月2日 礼拝メッセージ
主がともにおられる
(新約聖書 ヨハネによる福音書1章より)

『彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」』(新約聖書 ヨハネによる福音書 1:45〜49)


これはナタナエルがイエス様と出会う場面ですが、彼は最初イエス様のことを聞いても、信じませんでした。しかし、イエス様が自分のことを言い当てると、態度が一変し、イエス様のことを認めました。そんなナタナエルに、イエス様はこう答えられました。


『イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」』(新約聖書 ヨハネによる福音書 1:50〜51)


ナタナエルは、イエス様が言ったことを信じました。私たちも彼同様、イエス様がしてくれた何か(救われたこと、赦されたこと、よくしてもらったこと・・・)を信じます。しかし、「イエス様がしてくださったこと=イエス様」ではありません。ここでイエス様が言っているのは、イエス様がされたことよりも、イエス様ご自身の方がずっと素晴らしいということです。それなのに私たちは、イエス様ではなく、イエス様がされたことにより頼んでしまいがちです。そうすると、祈りの答えが見えなかったり、良いことが起こらないと、とたんにつまずいてしまいます。


「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りする」というのは、実際に創世記に書かれています。ヤコブがエサウから長子の権利を奪ったことで恨みを買い、逃げる途中の記述です。ヤコブは石を枕にして寝ていました。石の枕とは、苦難の中にあることを示しています。その時ヤコブは夢の中で、「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りする」場面を見ました。目が覚めたとき、彼は「私は神がここにおられたのに気づかなかった」と言いました。この夢は神様の励ましです。


私たちは、イエス様がしてくれること、してくれないことにとらわれすぎて、最も大事なことを忘れています。それは、イエス様がいつもともにいてくださることです。どんなに素晴らしいことが起こっても、それはイエス様ご自身ではありません。いつもともにおられるイエス様ご自身に、いつも目を向けましょう。



神木イエス・キリスト教会


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