この章でもパウロは、律法の世界から恵みの世界へ移ることを勧めています。まず話を進める前提として、私たちの基本的欲求について理解する必要があります。すべての人間が、「愛されたい」という欲求を持っています。赤ちゃんの頃はその欲求を持っていて、大人になったらなくなるということは決してありません。ずっと持ち続けているのです。私たちの心の根底にはいつも、「愛されたい」「そばにいて不安を消してほしい」「安心がほしい」という欲求があります。これを一言で言えば、「平安がほしい」ということになります。
こういった前提を理解した上で、次の御言葉を見てみましょう。
『金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」』(新約聖書 ヘブル人への手紙
13:5)
金銭とは見えるものの象徴です。私たちは安心を得るために見えるものによって何とかしようとします。しかし、平安を手にすることはできません。平安は、神からしか与えられないものだからです。例えば、親子間、夫婦間で問題が起きるのは、見える相手を通して平安を得ようとするからです。相手を支配し、自分の心の中に入れようとします。しかし、入りません。心に入らないものを無理に入れようとするから関係が壊れます。
栄華を極めたソロモン王は、ほしいものすべてを手に入れた後、伝道者の書でこう書き出しています。「空の空。すべては空。」見えるものはすべてむなしい、というのは、心の中に入れることができないからです。心の中を平安で満たすことができるのは神様だけです。
『さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 13:9)
ここでも見えるものを食物に置き換えて、同じことを言っています。心に入れられないものを入れようとすると、吐き出してしまいます。吐き出すときは苦痛を伴います。ですから、見えるものによってではなく、恵みによって心を強める必要があります。
『ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。』(新約聖書 ヘブル人への手紙
13:13)
宿営とはいわば安全な場所です。見えるものによって安心を得ようとする場所です。宿営の外に出るとは、すべて神様に委ねることです。見えるものを支配しないことです。わかりやすく言い換えるなら、イエス様を第一にすることです。イエス様を第一にすることで、大切にしていたものを失うかのように思うかもしれません。しかし、実は、反対です。イエス様を第一にしたとき、にぎっていて手放したものが戻ってくるのです。
イエス様を第一にするとはどういうことでしょうか。
1.天国へ行けるということを考える。
『私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。新約聖書 ヘブル人への手紙 13:14)
私たちが行けるのは天国です。何よりも素晴らしい場所をイエス様が用意してくださっているのです。その事実をよく考えましょう。
2.礼拝を捧げる
『ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(新約聖書 ヘブル人への手紙 13:15)
3.善を行う
『善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。(新約聖書 ヘブル人への手紙
13:16)
4.指導者の言うことを聞く
『あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 13:17)
5.指導者のために祈る
『私たちのために祈ってください。私たちは、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動しようと願っているからです。(新約聖書 ヘブル人への手紙 13:18)
私たちにまことの平安を与えてくださるイエス様を第一にして、日々歩んでいきましょう。 |