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2004年10月17日 礼拝メッセージ
成熟を目ざして進もう
(新約聖書 ヘブル人への手紙 6章)

『ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 6:1,2)


この章のテーマは冒頭にあるように「成熟を目ざして進もう」ということです。初歩の教えとして書かれていることはキリスト教の基礎的な教えですが、簡単に解説すると次の通りです。


死んだ行いからの回心: 罪を悔い改めて生き方を変えること。
(神に赦されるからできる)信仰のスタートです。
信仰: イエス・キリストが救い主なる神であると信じること。
きよめの洗い: バプテスマ(洗礼)
手を置く儀式: 手を置いて祈ることにより、神の権威と、キリストの体の一部であることをあらわす。
死者の復活: イエス・キリストが復活されたことにより、私たちは永遠のいのちを与えられている。
とこしえのさばき: この世の終わりに、すべての人がさばかれる時、それを最後の審判と言います。


『一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 6:4〜6)


この箇所は解釈の分かれるところです。一つ目の解釈は、洗礼を受けて後、教会を離れたらもう戻ってこられないという警告としての解釈です。しかし、それでは神の救いが不完全なものであるということになってしまいます。救いとは私たちの努力によるものではなく、一方的な神の恵みであり、完全なものです。この箇所は原語では事実に反する仮定法で書かれています。つまり絶対に起こりえないこととして書かれているのです。神の救いは飛行機のようなもので、いったん乗ったら必ず目的地に到着するのであって、後戻りすることはできないのです。となると、この箇所は警告ではなく励ましと捉えることができます。


では、なぜ洗礼を受けても教会へ行かなくなる人がいるのでしょうか。信仰には感情的側面と知識的側面があります。そのどちらかが不足していては成り立ちません。教会をやめてしまった人たちは、どちらかの側面がかけていた、つまり信仰がまだ成立していなかったと考えられます。これがもう一つの解釈です。ですから、その人たちには、欠けていた側面が育つよう、再び伝道する必要があるでしょう。


こういうわけで、救いは完全ですから、私たちは後戻りすることはありません。必ず成熟へと進んでゆくのです。後ろを見てももうそこには道がないのです。


『土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 6:7,8)


私たちはそれぞれに与えられているものがあります。それをここでは土地に例えています。土地を耕すこともできるし、耕さないこともできます。それは各自に任されています。土地を有効に用いて有用な作物を作るなら、天に宝を積むことになります。私たちはそのような生き方をしたいものです。しかし、何も耕さなければ、その土地は神の前に無用になってしまいます。焼かれるとは神の前に無用になるということです。


『神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 6:10)


何が神の前に有用な作物となるのでしょうか。それは愛です。いつまでも残るのは、信仰、希望、愛とあるとおりです。それは自分が神からどれだけ愛されているかを知るほどに、人を愛することができるようになります。


『そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 6:11〜15)


神様は私たちに対して必ず約束のものを与えると誓ってくださいました。誓いとは間違えのない、決して変えられないものです。その約束のものとは、永遠のいのち、そしてこの地上における問題の解決です。それらを手に入れるために、私達もアブラハム同様、忍耐を養われる期間があります。それは神様がすべての人に訓練項目として与えているものです。


私達がぶつかる問題は忍耐を養うために用いられます。そして忍耐が養われると、人間性が良くなります。神様は私達が前に向かって進んでいけるよう、このように励ましを与えてくださっています。例え記憶の中に後ろへ戻る道が残っていても、実際にはもうありません。神様の励ましを受け止め、成熟に向かって、前へ進んでいきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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