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2004年10月3日 礼拝メッセージ
大人になれない理由
(新約聖書 ヘブル人への手紙 5章)

聖書には神様からの色々なメッセージ、命令、勧めが書かれていますが、だれひとり、それらを完全に実行することができる人はいません。神様の前では、人を憎むことも、殺人と同じ罪として扱われます。ですから、すべての人は神の前に罪人です。別の箇所に、すべての人は罪の下に閉じ込められたという表現もあります。(新約聖書 ガラテヤ人への手紙 3:22)そして、この罪のための代償は死です。死をもってしか、罪の代償を支払うことはできないのです。イエス・キリストは、すべての人の罪の代償を支払うために人としてこの地上に来られ、十字架で死んで、代償を支払われました。


『大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 5:1〜3)


ここでは、イエス・キリストを当時の人たちに分かりやすく説明するために大祭司と表現しています。彼とはイエス・キリストのことです。イエス様は罪で汚れた私たちを責めるために来られたのではなく、私たちの弱さを思いやり、罪を赦すために来られたのです。こうして、イエス様が十字架で罪のために自分の身代わりに死んでくださったと信じる者は、だれでも赦され、救われる道が与えられたのです。


イエス様が私たちを思いやることができるのは、神でありながら人としてこの地上に遣わされ、私たちと同じ肉体を持ち、同じ体験をされたからです。また、罪を生み出す肉体を私たちに代わって死に渡し、復活することで、私たちの罪を赦すだけでなく、新しいいのちを分かち合ってくださいました。


『キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 5:8〜10)


イエス様は御子と呼ばれますが、それは、人ではなく神であるということです。人の子は人、神の子は神だからです。その方が、人として地上におられたとき、完全な者として十字架の死に従い、イエス・キリストを唯一の神であると信じるすべての人に救いの道を与えてくださいました。


この救いは、私たちが何か良いことをしたからではなく、神様から一方的に無条件に与えられる恵みです。私たちがどんなに受けるに値しなくても、イエス・キリストを神と信じるならば、イエス様は私たちを赦し、救ってくださいます。ですから、私たちはもはや自分をだめだとさばいたり、過去にとらわれたり、未来を思い煩う必要はありません。


夜、眠りについて、もし、朝目覚めることができれば、神様が命を与えてくださっているからに他なりません。一日一日、私たちは神様によって生かされ、いのちを支えられているのです。ここに、イエス様が多くの苦しみによって従順を学ばれたとありますが、私たちもまた、試練の中で従順を学ぶものです。そしてクリスチャンとして成長していきます。


『あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 5:12〜14)


この箇所は、クリスチャンになって年数がたっている人たちに向けて書かれているものです。クリスチャンには成長があり、幼子のクリスチャン、大人のクリスチャンがあることが分かります。幼子は愛されることを求め、大人は愛することを求めます。まだ幼子だという厳しい指摘が書かれていますが、大人のクリスチャンになれないのには、次のような理由があります。


1.みことばを熱心に聞かない。
「信仰は聞くことから始まる」とあります。人類最初の罪を、アダムとエバが犯したのも、神様のことばをまじめに聞いていなかったからでした。話を聞かないことが不従順の始まりでもあります。


2.話は聞いても、自分の思いを優先させる。
人は自分の聞きたいものを聞き、感じたいように感じるものです。それらはたいていネガティブなものなのですが、そういった、神のことばよりも優先させるものを持っていないでしょうか。いつも真実は何か、神の御心に従うことを求めたいものです。


3.反抗心
社会には神様の定めた権威があります。目に見える権威に従うことができなければ、神様に従うこともできません。まずは、親に従うことが、神様の命令でもあります。成長した人は従うことができますが、幼子は従うことが嫌いです。しかし、幼子が反抗していく中で、神様の正しさを知り、従うことの大切さを学びます。そして、大人へと成長していくのです。



神木イエス・キリスト教会


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