『こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
信じた私たちは安息にはいるのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と神が言われたとおりです。・・・ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(新約聖書 ヘブル人への手紙
4:1〜11)
ここに書いてあることの要点は、「福音を聞いたならそれを信じ続けましょう」ということです。神様は誰一人落後する者がないよう願っておられます。ですから、心をかたくなにしないでみことばを信じ続けましょう。
『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 4:12〜16)
神様のことばがどんなに力あるものか、私たちは体験しているでしょうか。私たちは自分を見ると自分の弱さや愚かさに落ち込みます。それは当然のことです。しかし、イエス様は私たちの弱さに同情できる方です。私たちが自分を見て落ち込むことから助けてくださいます。
私たちが神様からいただくことのできる最大の励ましとは、みことばです。それは、求める者すべてに与えられます。ただし、私たちは待っているのではなく、神様に自ら近づいていかなければなりません。そうすれば、神様は私たちを助け出す力強いみことばを与えてくださいます。その励ましを、日々、体験していきましょう。 |