『しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。』(新約聖書 テモテへの手紙一4:1)
惑わす霊を異端とも言いますが、その教えの特徴は、イエス・キリストを神に近い人としてとらえること(三位一体の否定)、そして行いによる救いです。良い行いをすれば救われるという考えは人間にとってなじみやすいものです。しかし、それは人が作り出した考えです。キリスト教の異端は、そういった人の考えを聖書よりも権威あるものとしています。こういった考えに惑わされないように気をつけましょう。
『神のことばと祈りとによって、聖められるからです。』(新約聖書 テモテへの手紙一 4:5)
私たちが聖くなるとは、立派な行いをすることではありません。それは自分の力でもできます。神のことばと祈りによって聖くなるとは、心の平安を手にすることです。それを手にすれば、人からの評価や、自分の能力のことを気に病むことがなくなります。
どうやって心の平安を手にするのでしょうか?それは人の助けによるのではありません。神のことばと祈りによって、つまり聖霊の力によって手にするのです。それは人からの慰めや励ましのように一時的なものではなく、継続的に与えられるものです。
嵐の時でも海の底はいつも穏やかです。しかし、私たちの心は海の表面のようです。天気の時は穏やかでも、ひとたび嵐が来れば、荒れてしまいます。神様は私たちの心を海の底のようにしたいと思っておられます。私たちの心が、人からのものではなく、神のことばによって養われていくなら、神のことばは私たちの内に生きて働き、平安が与えられます。
『これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。』(新約聖書 テモテへの手紙一
4:6)
自分も神のことばによって養われたように、他の人のことも神のことばによって養うのが立派な奉仕者だとあります。人を自分にではなく、神に結びつけるようにするのです。そうして一人ひとりがキリストにつながる教会を私たちは目指しています。私たちに必要なのは、肉によるものではなく、神からのもの、神のことばです。私たちは神を離れては生きてゆけません。
『…敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。』(新約聖書 テモテへの手紙一
4:7,8)
敬虔とは、神の約束を疑わずに信じることができることです。それは、自分の力によってではなく、神のことばに養われることによって与えられます。
『…あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。』(新約聖書 テモテへの手紙一
4:14)
賜物とは、神様のために用いることのできる能力です。自分に与えられた能力を認識したら、それを大切にし、用い続けましょう。能力には、目立つ働きをするものもあれば、目立たない働きをするものもあります。自分の能力が目立たない働きのためのものであるとき、「私にはこれしかできない」というのは間違いです。常に、自分が神様のためにできることは何かを考え、それを感謝してやることが大切です。
私たちが神様のことばによって養われ、平安を与えられ、他の人に対しても神様のことばによって養い、与えられた賜物を用いることによって、キリストの体は建て上げられていくのです。
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