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2004年5月16日 礼拝メッセージ
監督の職務について
(新約聖書 テモテへの手紙一3章)


『ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。・・また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。

執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。

婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。』(新約聖書 テモテへの手紙一 3:2〜13)



この章にはクリスチャンの模範となる行いについて書かれています。自分は監督の職に就いていないから関係ないということはありません。クリスチャンとして自分のあり方を3つのポイントから照らし合わせてみましょう。

1.御霊の実による行い

行動する原動力は2つあります。それは、自分(肉)の力と神(御霊)の力です。表向きは同じ行動でも、神の力によってそれをした時は、心の中に御霊の実である喜びと平安があるのに対し、自分の力でやった時は喜びと平安がありません。また、神の力によってやる時、人からどう思われるか気にすることも、人と比べることもありません。ですから、心の中に喜びと平安があるかどうかで、神の力によって行動したか、そして御霊の実がなっているかどうかを判断することができます。自分には御霊の実が少ないと思ったなら、神に求めてお祈りしましょう。神が実をならせて下さいます。

2.家庭を治める

家庭での生活がその人の本当の姿です。外でいくら評判が良くても、家庭でのあり方が悪ければ、それはよくないことです。「二枚舌を使わず」とありますが、外と家庭で態度が変わるのは、二重生活を送っていることになります。それはあり得ないことです。まず、家庭を治めることからしていきましょう。子供である人は親から注意されないような生活をめざしましょう。また、夫として、妻として、親として、なすべきことをやっていくようにしましょう。

3.社会

家庭の外でももちろん責任ある行動をとることが必要です。

このように、家庭、社会、教会、どこにおいても同じように、御言葉にある態度で生活できることを目指すべきです。それを自分の力でやろうと思えばできることもあるでしょう。しかし、自分の力でやるほどストレスがたまり、いずれどこかで爆発してしまいます。爆発するのは弱いところに対して、特に家庭で出やすいものです。しかし、神により頼み、神の力によって生活するなら、ストレスや不満がたまることはあり得ません。ストレスを感じるのは自分の力でやっている証拠です。それに気づいたなら、悔い改め、助けを求めて祈りましょう。毎日が軌道修正のくり返しです。それをやっていく内に御霊の実である愛、喜び、平安、その他のものが私たちの内に実を結びます。



神木イエス・キリスト教会


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