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2004年4月18日 礼拝メッセージ
喜びの法則
(旧約聖書 詩篇126:1〜6)

『都上りの歌  主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。』(旧約聖書 詩篇126:1〜6)


この歌は「都上りの歌」と最初に記されていますが、バビロンで捕囚の民となっていたイスラエルの民が解放され、再び故郷へ戻る時のことを歌ったものです。聖書に書かれていることは歴史上の事実であり、登場する人物も実在したことが証明されています。この箇所にあるバビロン捕囚も歴史上の事実であり、聖書の信頼性を証明しています。

イスラエルの民は、捕囚となっていた時、決して再び故郷を見ることはないのではないかと思っていたことでしょう。しかし、主が預言者を通して必ず解放されると励まされたとおりになりました。それで、民は夢を見ているようだったのです。

試練の中にいた民を主は笑いで満たし、喜びの叫びで満たされました。私たちが信じる神は、良い方です。常に私たちに良いことをしてくださる方です。一般的には神様に対して、怖い、罰を与える、といったイメージを持たれがちですが、そうではありません。親は子供の笑顔がうれしいものです。ですから、子供が喜ぶことを考えます。ただし、いくら子供が喜んでも、子供にとって良くないものは与えません。神も私たちが気休めではなく、本当の喜びを得るように、考え、ことをなされます。そして私たちが喜ぶ姿を見て共に喜ばれるのです。主は大いなることをなされたとあるように、神は私達の想像をはるかに越えたことをしてくださるのです。

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取るとあります。世の中において、種を蒔けば必ず収穫を得られるという絶対の保証はありません。しかし、神はその保証を与えられます。涙とともに、すなわち、試練の中においてもあきらめずに前に進み続けるなら、神は、必ずそれを喜びに変えるという保証を与えてくださっているのです。


『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』(新約聖書 コリント人への手紙 第一 10:13)


試練にあった時、私たちには2つの道があります。「あきらめてやめる」か、それとも「あきらめないで前に進む」か、どちらかです。しかし、神は脱出の道を備えると約束してくださいました。また、私たちを喜びの叫びで満たしてくださる良い方です。私たちは神の約束を信じ、前に進むことを選択しましょう。これは、伝道においてはもちろん、仕事においても、今自分が置かれているすべての状況で、神が私たちに語っておられることではないでしょうか。あきらめないで進むなら、必ず神が本物の喜びを与えてくださいます。




神木イエス・キリスト教会


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