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2004年3月28日 礼拝メッセージ
主の日
(新約聖書 テサロニケ人への手紙第二 2章より)

イエス・キリストが再び来られ、すべてのものがさばかれる主の日が来ます。4節に、主の日が来る前のしるしとして、反キリストが現れると書いてあります。様々な不思議を行い、自分を神とする人、すなわち反キリストはいつでも存在します。ですからいつでも終わりの時と言えます。ただし、私たちは主の日がいつかということは知る必要はありません。主が来られるのがいつか予測する人もいますが、それは神の領域であり、神にしか分からないことだからです。私たちは主の日が来るより前に自分の死を迎えることになるかもしれません。いずれにしても大切なのは、私たちはいつ終わりが来てもいいように備える必要があるということです。

今まで以上に強い反キリストが引き止められているとあります。すべてのものは神の支配の下にあるのです。神の許可なしに、何もすることはできません。ではなぜ神は悪の力をとどめることが出来ながら、悪の力が働くことを許可されるのでしょうか。それは、本物と偽物が明らかになるためです。本物しかなければ、私たちが本当に自分の意思でそれを選んだかどうか分かりません。私たちが自分の責任で真理を選択するように、神は願っておられるのです。そのため、悪いものに惑わされないようにと書かれています。


『兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙 第二 2:15)


偽物に惑わされないために、いつも神のことばにしっかりとたっている必要があります。私たちが物を考える基準は聖書のことばです。いつでも神から目をそらさないでいる必要があります。

本物と偽者を見分ける方法の一つに、時間をかけて見極めるという方法があります。最初は見分けにくいものですが、時間がたつと必ず違いが見えてくるものです。人類の歴史の中でキリスト教が最も古い宗教です。聖書の教えは世の中においても信頼されています。それは、最初から変わらないからです。確かにキリスト教も歴史の中で、十字軍等の間違いを犯しました。これは聖書の教えからずれたことです。しかし、聖書は変わらないので、その教えにいつでも戻ることができるのです。

カトリックの場合、聖書も信じますが、それ以上にローマ法王の教えが優先されます。そのため、権力に都合の良い教えがたくさんでき、聖書からずれていきました。その最たるものが免罪符です。免罪符を買えば罪が赦されるというのは、聖書の教えから完全にずれたものです。それに対し、ルターは素朴な疑問を投げかけました。それが宗教改革につながり、カトリックとプロテスタントに分かれ、私たちは、聖書の教えを最優先するプロテスタントの流れを引き継いでいます。

昔から変わらない聖書の教えは、いつの時代でも生活の中でそれが真理であると確認され、世界中に広まっていきました。

人は不思議なことに心をひかれてしまうものですが、そこには御利益を求めて、真理を求めなくなるという危険があります。イエス様も奇蹟を行った時、黙っていなさいと言われました。主の日が近づく今、私たちは惑わされないで、何が本物なのか、聖書と照らし合わせて見極めていく必要があります。



神木イエス・キリスト教会


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