イエス・キリストが再び来られることを再臨と言いますが、その日は盗人のように来ると書いてあります。(2節)私たちにはその日がいつなのか知るよしもなく、神だけがご存知です。私たちはどのようにその日に備えればよいのか、パウロは次のように勧めています。
『ですから、他の人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。しかし、私たちは昼のものなので、信仰と愛を胸当てとしてつけ、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目覚めていても、眠っていても、主と共に生きるためです。ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙 第一 5:6〜11)
これを具体的にすると次のようになります。
1. 目を覚まして慎み深くしている。
言い換えれば、目標から目を離さないということです。私たちの目標とは何でしょうか。私たちはキリストの体に属しています。キリストの体は、一つ一つの部分が神からの指示に従ってはじめて機能します。ですから、私たちの目標とは、神からの指示に他なりません。
2. 信仰と愛を胸当てとする。
私たちを攻撃し、否定的にさせ、落ち込ませる様々な問題に対して、信仰に立つ事が私たちを守ります。また、人との関わりの中で、落ち込んだりいらいらする時にも、愛をもって接する事が、私たちを守ります。まずは相手のために祈る事からです。
3. 救いの望みをかぶる。
自分が信仰によって救われている事をいつも自覚していましょう。主は救いを得させるために来られたのであって、裁くのが目的ではありません。主の十字架の死は、私たちが生きていても死んでも主が共に生きるためなのです。
4. 互いに励まし合う。
『…あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙 第一 5:12,13)
牧師先生、教職者の務めは、神のことばを正しく伝えることです。その人たちに対して、人間的に至らない部分を批判し、尊敬することをやめてしまうと、神のことばが私たちの内に入らなくなり、神の道からずれていってしまいます。ですから、務めゆえに愛を持って深い尊敬を払うようにしましょう。
『兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままなものを戒め、小心なものを励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられる事です。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙 第一 5:14〜18)
お互いの間に平和を保ち、一致していくためのことばがここにあります。悪い事をされたからといって、やり返すと自分がつらくなります。私たちは一つのいのちでつながっています。ですから、人をさばく事は自分を痛める事です。人を量る同じはかりで自分も量られるとあるとおりです。(ルカ6章38節)
人を攻撃して自分を傷つけるのはやめましょう。むしろ、互いにいたわり、祈り合っていきましょう。
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