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2004年2月29日 礼拝メッセージ
テサロニケ人への手紙第一 3章
(新約聖書 テサロニケ人への手紙第一 3章より)

パウロは3章の冒頭で、テモテを遣わした理由を次のように書いています。


『…それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙第一 3:2,3)


パウロはテサロニケの人を励ましたいと思いました。それは、苦難を見てかわいそうだからではなく、苦難の中でも信仰に立つことができるかどうかを心配したからです。私たちが人を励ます時にも、ぶつかっている問題にたんに同情するのではなく、その人が信仰に立てるように励ます必要があります。

また、この箇所には、私たちが苦難に会うように定められているとあります。それは災いのようなものではなく、神様の訓練と言えるものです。神様は人それぞれに応じた問題を投げかけることを通して、私たちを訓練されます。それはなぜでしょうか。

1.信仰を見るため
苦難にあった時、私たちには「信じてあきらめない」か「信じないであきらめる」か、どちらかの選択肢があります。神様は私たちが「信じてあきらめない」方を選択するのを見たいのです。神様が与える問題は、信じれば解決できるようになっているからです。

2.砕くため
詩篇119篇71節で、ダビデは「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」と賛美しています。苦しみに会うことで、私たちは、自分の無力さを知り、神様のことばが本当であることを知り、神様をますます頼るようになるのです。

3.神様の愛を体験させるため
聖書で言う苦難とは、神のみことばに生きる時の生涯、具体的には伝道する時の生涯を指します。福音を伝えようとして迫害される時、その苦しみは、神様がまず私たちのため味わわれたものです。同じ苦しみを通る中で、私たちは私達に対する神様の愛の深さを知るのです。

私たちが水におぼれそうになったら、助かろうとして必死にもがくでしょう。信仰もそれと同じです。苦しみを覚えながらも、本気で生きようとするなら、神にすがります。それが信仰です。


『このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙第一 1:7)


パウロはテサロニケの人々の信仰によって、慰めを受けたと書いています。そのように、私たちもまた自分自身が信仰によって生きることで、周りに励ましを与えるのです。人のことを何とかしようとする前に、まず自分が信仰に立ってチャレンジしていくことに向かっていきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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