『目を覚まして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。』(新約聖書 コロサイ人への手紙
4:2)
「目を覚まして」とあります。私たちの主イエス・キリストは、いつ再び来られるか分かりません。いつ主が来られてもお迎えできる準備、また、いつ私たちが天に召されてもいいように準備しているようにということです。
また、「感謝をもって」とあります。聖書の中には「すべてのことについて感謝しなさい」と多くの箇所で書かれています。人間のものの見方の基準は自分にとって損か得かですから、損をすれば文句を言い、得をすれば感謝するのが当たり前です。しかし、神様は全てのことについて感謝しなさいと言われます。それはつまり、全てのことを神様の見方で見なさいということです。神様のものさしで物事を捉える時、全てのことを感謝できるのです。
私たちが損だと思い、つらくなることの一つに、比較することがあります。自分が人より劣っていると思うとつらくなります。しかし、神様は一人一人を素晴らしいものとして造ったので、本来比較などできないのです。それなのに比較してしまっていた愚かさに気づくと、悔い改めに導かれ、感謝が生まれます。病気もまたつらいものですが、いやされるという恵みに導かれるチャンスです。問題にぶつかることも、その問題を通して祈ることによって、平安へと導かれます。神に祈るきっかけが与えられたこともまた感謝です。神様のものの見方で見ると、全てのことが感謝できるのです。
「たゆみなく祈りなさい」とあります。それは身体の器官に例えられます。イエス・キリストを信じることで、イエス様と私たちは血管でつながります。しかし、血管には血液が流れなければ機能しません。祈りとは、血液が流れることだと言えます。また、祈りには、賛美もあり、御言葉を思い、神様のことを考えることもそうです。つまり、神様に心を向けること全般が祈りー神様との交わりと言えます。毎日たゆみなく血液が流れるように神様との交わりを保つことが必要です。
『同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。…また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。』(新約聖書 コロサイ人への手紙 4:3)
パウロは自分たちのために祈ってほしいと訴えています。他の人のために祈ることをとりなしの祈りと言いますが、私たちはキリストの体ですから、お互いにも血管がつながっていなくてはいけないように、このように祈り合うことが必要です。私たちの教会でも祈りのリクエストを出していますが、まず最初に、牧師先生のためにとあります。最も労力のいる場所で、走っている先生のために祈り、そして互いに祈り合うことによって、教会はしっかりと建て上げられていきます。
『外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。』(新約聖書 コロサイ人への手紙 4:5)
外部の人とは教会員でない人のことです。それらの人たちに対して賢明に振る舞うことによって、福音を語るチャンスをつかむようにということです。外部の人たちの中で、何事も一生懸命にやっていくことによって、やがて周りの人たちから私たちの平安について聞いてくるようになり、私たちが信じている主について語る機会が与えられます。
『あなたがたの言葉が、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。』(新約聖書 コロサイ人への手紙 4:6)
私たちは正しいことを言い、行う必要があります。しかし、そこにはプレッシャーがあります。日本人は和を尊んで、なるべくはっきり言わないようにする傾向があります。しかし、本当に相手のためになることを考えるなら、言うべき事をはっきりと言わなければなりません。私たちはそのような関係でありたいと思います。その際、怒りによって感情的に言うのではなく、まず相手のために祈り、準備し、柔和な心で伝える必要があります。
『…彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。』(新約聖書 コロサイ人への手紙 4:12)
自分の努力で完全な人になることはできません。ある程度は努力で変わることができても、本質的に変わることはできません。私たちを本質的に変えるのは神様です。ですから、自分が変わらないからと嘆く必要もありません。私たちはただ神様にあわれんでくださいと祈ればよいのです。あるとき気がつくと、神様によって変えられているのです。ただ、神様を信頼して求めていきましょう。
どうしたら神様を信頼できるのでしょうか。その答えは簡単です。それは努力や勉強(知識)ではありません。例えば私たちが病気の時、医者に治療を勧められたら、あるいは薬を処方されたら、その言葉を疑うでしょうか。私たちが自分の罪深さ、弱さに気づき、苦しみを覚えるほど、神様を信頼できるのです。神様を信頼できないのは、私たちの本質に出会っていないだけです。神様への信頼の鍵は、私たちがどれだけ自分の心の醜さに気づくことができるかどうかです。そうすれば、神様の言葉を信じることができるのです。 私たちに必要な祈りは、「主よ。私をあわれんでください。」という祈りです。
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