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2004年1月4日 礼拝メッセージ
神に仕える=キリストを宣べ伝える
(新約聖書 コロサイ人への手紙1章より)

コロサイの人たちのために、パウロが神に祈り求めていたことが、新約聖書 コロサイ人への手紙9節から12節に書かれています。それは、神が私たちに願っていることとも言えます。

1 私たちの学習、知識が神を知ることにつながること。(9節)

2 行動する動機が「神が喜ばれるから」であること。(10節)
善行とは人が喜ばせる行いではなく、神を喜ばせることです。

3 神に喜ばれることをする中で、神についてさらに知ること。(10節)
まず「神を知りたい」という願望があること、その上で神に喜ばれることを選択して実行していくうちに、神はご自身について知らせてくださいます。

4 忍耐と寛容を尽くす。(11節)
心を治めることほど難しいことはありません。神の力は、何か大きいことをするためというよりも、むしろ心を治めるためにこそ必要です。自分の心を治められない時ほど怒りに出るのではなく、神に頼るべきです。

5 感謝する(12節)
その理由は13,14節に書かれています。私たちは自分の要求が100%通ることはまずありませんが、たとえ、欲する物すべてを手にしたとしても、永遠の命を失ったら、もはや何も持っていないのです。私たちにとって一番大切な罪の赦し、永遠のいのちを神は与えてくださいました。だから感謝するのです。

13節から22節には御子イエス・キリストについて書かれています。これが後で述べられる私たちが立つ「土台」となる知識です。それは次の通りです。

まず、万物はイエス・キリストによって造られました。つまり、私たちはイエス・キリストによって造られたのです。ですから、私たちは神抜きでは生きられないように設計されているのです。

イエス・キリストは御子と呼ばれているので、神によって造られたという誤解がありますが、人間の子が人間であるように、神の子は神です。父なる神、子なる神イエス・キリスト、そして聖霊様が一つの神として最初からおられ、ともに創造のわざを行われました。その中でイエス・キリストは罪を犯した人間と神を和解させるために地上に来られ、その罪を背負って十字架で死に、和解させてくださいました。それゆえに私たちは神の前で聖く、傷なく、非難されるところのない者として立つことができるようになりました。これが福音です。


『ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。… 』(新約聖書 コロサイ人への手紙 1:23)


キリスト教がずれていくときは、いつもイエス・キリストに対する認識がゆらぎ、間違った解釈が行われてきました。ですから私たちは、イエス・キリストに対する正しい知識の土台に立ち続けなけれなばいけません。

また、生きていく中で、さまざまな誘惑や迫害にあいますが、決してイエス・キリストを捨ててはなりません。神が私たちを捨てることはありませんが、私たちが神を捨てる危険はあるのです。目に見えない神を信じていることは、世の中から見れば、弱々しいものです。しかし、永遠のいのちよりも大切なものはありません。


『この福音は、天の下のすべての造られた者にのべ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。23節 私は、あなたがたのために神から委ねられた務めに従って、教会に仕えるものとなりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。』(新約聖書 コロサイ人への手紙 1:25)


パウロにとって、神に仕えるとは、福音、神のことばを伝えること、イエス・キリストを伝えることでした。私たちが奉仕をする目的も神のことば、イエス・キリストを伝えることです。それは教会においてだけでなく、普段の生活の中での奉仕です。パウロがいつでも福音に焦点を定めて生活していたように、私たちも行動の目的を福音に定めて生活していきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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