『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:10)
私たちの心が弱ってしまった時、神様から力をもらわなければなりません。慰めを人に求めても、互いに疲れてしまいます。あなたは誰に助けを求めていますか?
この世界は、神様とサタンとの陣取り合戦のようなものです。私たちのたましいが神様のもとへ行くなら、勝利です。サタンはそれを妨害しようとさまざまな策略を仕掛けてきます。その策略とは、私たちの心が、見えるものに向いて神に向かないようにするものです。具体的には次の通りです。
1. 人(自分・他人)の価値を見えるものに置き換えさせる。しかし、私たちの価値は神様の価値であり、永遠のものです。そのことを理解しておく必要があります。
2. 人をゆるさない(ねたむ、さばく等)ようにする。
3. 現実から引き離させる。(芸能人等のアイドルを慕う、白馬の王子が現れるのを待つ等。)
私たちが日々出会う出来事は、そのことを通して私たちが神様に行くか、サタンに行くかで勝敗がつきます。では、私たちのたましいが、いつも神様のもとに帰り、勝利するにはどうしたらよいのでしょうか。
『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:12)
まずこの戦いの前提として、敵は見える人ではないということです。私たちはすぐ人に腹を立て、憎みますが、私たちはキリストの体であり、互いに自分の一部なのです。自分の一部であればいじめたりせず、大切にします。人は愛する対象です。人は戦う相手ではありません。
『では、しっかりと立ちなさい。胸には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てをつけ、』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:14)
戦い方として、まず最初に必要なのは、「しっかりと立つ」ということです。言い換えれば問題から逃げないということです。神様が共におられるので、恐れることはありません。
次に、御言葉に目を留めることです。この問題に対して、自分がどう思うかではなく、聖書は何と言っているのかが重要です。これは神様の戦いですから、聖書のことばに立って行動することが必要です。
神様がいつも共におられることを確認しましょう。私たちは不安になるとつい見えるものに頼り、安心を得ようとしますが、それは敵の思うつぼなのです。イエス・キリストが私たちの胸当てです。神様が共におられるので、私たちに矢が当たることはないのです。
『足には平和の福音の備えをはきなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:15)
私たちが行動する時、まず足を動かします。その足に平和の福音の備えを履くと言うことは、行動する際、人と争わないということです。人との関係において、決して相手を追いつめてはいけません。誰もが欠点を持っているので、追いつめることは簡単です。しかし、追いつめた先には破滅しかありません。
『これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪いものが放つ火矢を、みな消すことができます。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:16)
サタンが放つ火矢とは、否定的な思いです。これに対して必要なのが信仰の大盾です。信仰とはまだ見ぬ事実を確認することです。否定的な思いが来た時、それをはねのけることができるのは、神様なら助けて下さるという神様に対する信頼だけです。
『救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受けとりなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:18)
神様はリアルタイムで私たちを導こうとしておられます。そのため、聖書のことばだけでなく、人を通しても、また、自分の中に願いとして起こされる場合もあります。ですから、人の言葉にもいつも心を開いて聞く耳を持つようにしましょう。また、願いが起こったらまずやってみましょう。御心でなければ違う方向へ導かれます。
『・・・絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:18)
自分のことしか見えない時は、良い状態ではありません。私たちは自分のことばかり祈るのではなく、他の人のために祈る必要があります。教会の牧師先生のために、スタッフのために、また病の人、問題を抱えている人のために祈りましょう。これをとりなしの祈りと言います。これは見えない働きですが、神様の前に非常に重要な働きです。私たちの戦いは目に見えないものであり、祈りが重要な働きを担っているのです。ですから、祈り合うことによって私たちは守られ、この戦いに勝利していくことができるのです。
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