4章の前半は、召しにふさわしく歩むこと、そのために一致が必要であること、そして、一致とはどういったことかが書かれています。
私たちはキリストのからだの各器官です。ですから一人一人、神から与えられた役割(召し)があります。しかし、各器官が役割を果たし、機能していくためには、一致していなくてはなりません。では、どのように一致するのでしょうか。
『謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙4:2,3)
自分の体のことを考えてみましょう。右目と左目が別の方向を見たり、足が傷を負っているのに手は知らんぷりするといったことがあるでしょうか?それでは体は立ちゆきません。私たちの体は各器官がいつも助け合っているからこそ、機能しているのです。キリストのからだである私たちも、互いに誇らず、怒らず、助け合うことで機能します。
イエス・キリストを信じて救われたということは、同時に、キリストのからだの一部になったということです。キリストのからだの一部になったということは、次のことを意味します。
- 行いで競い合う必要はない。
- 自分の価値で悩む必要はない。
- ともに生きる素晴らしさを学んでいく。
この世の中では、どれだけのことができるかで評価され、互いに競い合いますが、キリストのからだにおいては、行いで評価されるのではなく、既に最高の価値を一人一人が与えられているのです。神様の価値について考えたことがあるでしょうか?考えるまでもなく、また、何かと比べるまでもなく、神様は最高の方です。キリストの体であるということは、神様の素晴らしさがそのまま私たちの価値であるということなのです。それが1,2の意味です。
では、ともに生きる素晴らしさを、どのように学んでいくのでしょうか。
『こうして、キリストご自身が、・・・ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、』 (新約聖書 エペソ人への手紙4:11,12)
キリストのからだとは、見えないものです。それを見える形にしたのが教会です。上の御言葉にあるように、キリストのからだが建て上げられるために、リーダーが立てられ、一人一人が整えられて奉仕の働きをするのです。教会に属することなしに、信仰を持ちつづけることはありえません。つまり、教会につながることにおいて、ともに生きる素晴らしさを学んでいくのです。
私たち一人一人がする奉仕の働きとは、次のことです。
1. 什一返金
神様から任されたもののうち十分の一は神様のものとしてお返しします。これによって、私たちは、キリストのからだに属していることを見える形で認識します。
2. 祈り合うこと
互いの必要のために祈り合い、分かち合い、励まし合うことによって、キリストのからだに属していることをますます認識します。
3. 賜物を用いて仕える
神様が自分に与えている賜物を見出し、それを用いて教会の必要のために仕えることです。これらのこと通して、一致が生まれるのです。先に一致があるのではなく、一緒に仕えていく中で、一致していくものです。
さらに、私たちが神に近づくこと、成長することは、キリストのからだに属することなしに、すなわち教会に属することなしにあり得ません。では、神はなぜ、私たちが一人では信仰を持ち得ないようにしたのでしょうか。
『それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、』(新約聖書 エペソ人への手紙4:14)
1.私たちはサタンの策略に一人で立ち向かうことができないからです。サタンは私たちを誘惑し、間違った教えを受け入れさせ、神の御言葉に勝手な解釈をさせ、信仰を捨てさせようと、いつも狙っているのです。一人では簡単に誘惑されてしまうでしょう。
『むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。』(新約聖書 エペソ人への手紙4:15,16)
2.愛は一人では成立しないからです。互いにさばないでゆるし合い、祈り合う、それが唯一の道です。人が集まれば、中には気に入らない人もいるでしょう。しかし、その時、貴重な愛の学びができるのです。逃げたら愛は学べません。私たちが愛を学ぶことによって、からだ全体が成長するのです。 |