パウロは自分を誇る者に対して、自分がそれ以上に素晴らしい体験をしたことを明らかにしました。しかし、それは神様が一方的にされたことであって、自分が誇ることではなく、自分については、自分の弱さ以外に誇らないと言っています。
パウロは実際、素晴らしい啓示、そして賜物を与えられていました。とかく人は、そのようなものを受けると、神様ではなく自分が素晴らしいと錯覚し、高ぶってしまいます。聖書にも高ぶりによって失敗した例が記されているとおりです。そこで、神様はパウロが高ぶることのないように、病気と思われるひとつのとげを与えられました。パウロはそのとげが取り去られるよう願ったものの、それはかなわず、神様は次のように語られました。
『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』(新約聖書 第二コリント人への手紙12:9)
つまり、神様の恵みは、自分の弱さを知る人のうちに働くということです。自分の弱さを知るとは、具体的には次の3つのことが挙げられます。
1. 自分の限界を知る
私達はいのち、肉体、思考等に制限があります。どんなにがんばったところで、越えられない壁があるのです。弱さを知るとは、これができないから自分はダメな人間だと自己否定することではありません。弱さを知るとは、そういった限界のある自分のありのままの姿を認めることです。すると、神様はその限界を補ってくださいます。
2. 自分の罪深さを知る
私達の心には、神様のことばに対する反抗心があります。パウロでさえも、自分のうちに別の律法があり、罪を犯してしまうと告白しています。しかし、私達が自分の罪深さを認めた時、みことばに従うことができるよう、助けてくださるのです。
3. 神の偉大さを知る
自分にはどうしようもできないことを神様に頼る時、私達は奇蹟を見ます。
『ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ。侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時こそ、私は強いからです。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 12:9,10)
自分に不足があることを認めると、神様がその不足を補ってくださり、結果として強く見えるのです。だからこそ、弱さを知るきっかけとなる病気や挫折、迫害、罪による苦しみに甘んじるのだと、パウロは書いています。自分とどれだけ正直に向き合うことができるかどうか、それが弱さを神の恵みに変える鍵です。
『ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 12:15)
これはパウロの言葉ですが、パウロ以上に神様は私達のたましいの成長を願い、大変な関心を持ち、そのためにすべてを使い尽くしてくださるのではないでしょうか。私達の信仰の成長は、自分の弱さを認めているかどうかではかることができます。 人は弱さを認めると、次のように変えられます。
1. 人の話を聞くようになる
人の話、アドバイスに素直に耳を傾けることができるのは、自分の不足を知っているからです。聖書のことばはもちろん、みことばを取り次ぐ牧師先生の話、子供にとっては親の言葉、妻にとっては夫の言葉を聞くことは、大変重要です。神様は権威のあるところ、人を通しても語られるからです。
2. 神様の前に素直に悔い改めができる
3. 弱い者に対してやさしくなる
病を経験すれば、病の中にある人の気持ちがわかり、また、自分の罪深さを知ると、人の罪に腹が立たなくなります。
私たちの成長をいつも願っておられる神様の前に、いつでも素直に自分の罪や弱さを認め、従えるよう、祈り求めていきましょう。
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