『私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 10:3)
聖書で肉という言葉が出てくる時、それは自分のことを指します。ですから、「肉に従う」とは、自分中心に生きるということです。それと反対の言葉は、「御霊に従う」です。これは、神中心に生きることです。
この箇所で、戦いという言葉が出てきましたが、私たちクリスチャンは何と戦うのでしょうか?それは、神に従うことを妨げる自分の考えです。神の考えより自分の考えを優先させることが、すなわち肉に従っていることです。神の考えと自分の考えのズレを知り、自分の考えを修正するのが戦いであり、それがクリスチャンの生き方です。そして、神の考え方へと自分の考え方を修正していくほど、その人は成長します。
軌道修正の戦いの武器は、神のことばです。例えば、否定的な状況にぶつかった時、周りの否定的な言葉に従うのでしょうか、それとも、「試練とともに脱出の道が備えられている」「恐れるな」という聖書のことばに従うのでしょうか。聖書のことばを優先させ、自分の考えを軌道修正していきましょう。
8節から、「権威」について書かれています。権威主義というと、悪いイメージがつきまといますが、この箇所では、権威について、「倒すためでなく立てるため」のものであることが書かれています。権威を誤って用いると、人々は倒れてしまいます。しかし、権威を正しく用いるなら、人々が立て上げられていくのです。
また、自分に立てられた権威を認めることは、ズレを修正するためにも必要不可欠です。私たちは尊敬する人の言葉は聴くものです。そして、アドバイスを受ければ自分を変えようとします。そうして成長するのです。しかし、その権威を無視すれば成長は止まり、混乱が生じます。そして、罪から身を守ることも難しくなります。
聖書に親に従うという教えがありますが、これは私たちが子供の時から権威を学ぶことが必要だからです。親の権威を無視する子どもは社会の権威にも従うことができず、社会を混乱させ、自分自身をも滅ぼしてしまいます。
また、夫婦の中では夫に権威があります。人類最初の罪は、エバが神の言葉に背いて、食べてはいけないと言われていた木の実を食べたことですが、もし彼女が夫に神のことばを確認していれば、罪を犯さずに済んだのです。つまり、エバは夫の権威を無視したため、ついに罪を犯してしまったのです。権威は上下関係を示すものではありません。すべての人は神の前に平等です。権威とは、社会が機能していくために欠かせない秩序です。
では、権威ある人たちがそれぞれ違うことを言った場合、私たちは誰に従ったらよいのでしょうか?私たちはいつでも、最終的権威が神にあることを忘れてはなりません。ですから、世の中の権威に従うのも、神のことばに反しない範囲で従うべきです。
私たちはイエス様を尊敬しているからこそ、御言葉に従います。神の権威、そして神に立てられた権威を認め、自分の考えを修正する戦いを続けていきましょう。その中で神様が私たちを成長させてくださいます。
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