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2003年7月6日 礼拝メッセージ
二つの悲しみ(新約聖書 第二コリント人への手紙 7章)

人は生きていれば誰もが悲しみに遭遇するものです。人から言われた言葉で傷ついたり、また人を傷つけてしまったことで後悔したり、時には人と自分を比べ、焦ったり落ち込んだりするでしょう。

聖書では、これらの悲しみを「この世の悲しみ」と表現しています。この世の悲しみは、そのままにしておくと、やがて憎しみへと変わり、魂を死に追いやってしまう大変危険なものです。一方、聖書には「神の御心に沿った悲しみ」というものも書かれてあります。神の御心に沿った悲しみは、救いの悔い改めに至る道であり、私たちの魂に命をもたらします。

人はなぜ悲しみを感じるのでしょうか?人は神の考えと調和して生きる時に、心の中に平安があふれるように神によって作られました。ですから、人が悲しみを感じるのは、神の考えと自分の考えにズレが生じてしまったサインなのです。

私たちはこの世の悲しみを避けることはできません。しかし、この世の悲しみを、神の御心に沿った悲しみに転換させることはできます。では、どうすればこの世の悲しみを神の御心に沿った悲しみに変えられるのでしょうか。それは次の3つのステップによります。
  1. 悲しくなった時に、「なぜ私は悲しんでいるのだろう?」と原因を考える。
  2. 悲しみの原因を見つけたなら、「神様の考えとどこがずれているのだろう?」と聖書の教えに違反しているところを見つける。
  3. その違反行為に気づいたなら、すぐに神に悔い改める。
世の悲しみの原因には、必ず、聖書の教えに反した自分の思いが隠されています。例えば、比較や他人からの言葉や態度で心が悲しくなる場合、「さばいてはいけない」という御言葉に反して、人をさばいているのです。それに気づく人は幸いです。しかし、気づかないなら、その悲しみは単なるこの世の悲しみで終わり、放っておくと魂は死に至ってしまうのです。

「悲しみ」という痛みは、私たちを神と調和させるためになくてはならない危険サインです。悲しみを通して、自分のずれに気づき、神の考えに自分の考えを合わせていくなら、その悲しみは神のみこころに添ったものへと変えられます。それは感謝を生み、命の道に至らせるのです。



神木イエス・キリスト教会


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