『確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 6:2)
「今」という表現によって、神様は私たちに次のことを語っています。
1. 明日があると思うな
私たちは問題を先送りにしようとしますが、今、それに対処することを神様は求めておられます。
2. 後ろを振り向くな
私たちはつい過去を後悔してしまいますが、神様はすべてのことを益とされる方です。そして、今が私たちにとって一番重要な時なのです。
3. 恵みは私たちの決断によって得るもの
恵みは、ただ待っていればもらえるのではなく、私たちが受けると決めれば得られるものであり、その決断によって次の道が開かれていくのです。
『悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 6:10)
これはクリスチャンの生き方を表しています。 「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり」とは、 人から見るとつらいような状況でも、人がどう思うかとは関係なく、自分は喜んでいることができるということです。
「貧しいようでも、多くの人を富ませ」とは、 神様の恵みを伝えることによって、多くの人を励ますことができるということです。それは、神様が心にゆとりを与えてくださった結果です。
「何も持たないようでも、すべてのものを持っています」とは、 ものに支配されず、自由な心を持つことができるということです。
人は自分の価値をものに置き換え、自分の価値を見出そうとしますが、ものを持つことによって、かえってものに支配され、心は不自由になっています。ものを持ってはいけないのではなく、与えられれば感謝して受ければ良いのですが、持つことが目的になってしまうと、途端に不自由になってしまうのです。神様から与えられている価値を知ると、ものを得ることを目的にする必要はなくなります。
『あなたがたは、・・・自分の心で自分を窮屈にしているのです。・・・あなたがたのほうでも心を広くしてください。不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 6:12〜14)
人はセルフイメージというものを持っていて、それはたいていマイナスのものです。そして自分は愛される資格がない、幸せになる資格がないと決めつけています。そのため、色々な状況において、良い情報ではなく、わざわざ悪い情報を受けとってしまいます。だから心が窮屈になるのです。
幸も不幸もどちらも、自分の選択によるもので、人のせいにすることはできません。しかし、心を広くする(悪い情報を選択しない)こともできます。それは、聖書の価値観に立ち、世の中の価値観に妥協しないことによってのみ可能です。世の中の価値観に妥協した途端、心に矛盾が生じ、窮屈に
私たちの心に恵みと喜びがあふれ、自由に生きることができるかどうか、それはすべて私たちの決断によります。神様が与えてくださる良いものをしっかりと握って生きていきましょう。
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