『また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 5:15-17)
イエス・キリストに罪を赦された者は、イエス・キリストのために生きていきたいと心から願うものです。今まで自分のために生きてきた人生から、神のために生きていく人生に変わる、それを新しい人生と言います。
新しい人生とはどんな人生なのでしょうか。神のために生きるとはどんなことでしょうか。それは、「人間的な標準」から「神の標準」に物差しを変えていくことです。人は誰もが「自分の価値観」という人間的な標準の物差しによって物事を測り判断しています。例えば、人を見る時、その人の過去、学歴、家柄、能力、といった物差しを使って、判断してきたのではないでしょうか。
しかし、その物差しは私たちを自由にするものではなく、かえって私たちを窮屈にし、苦しめるものでした。なぜなら人間的標準には常に比較が伴うからです。「比較」して一喜一憂することはとても苦しいことです。神は、私たちをそのような苦しみの中から助け出したいと願っておられます。「神の標準」で人を見るなら、人は自分と比較する対象から、愛する対象に変わり、皆が神に造られた素晴らしい作品に見えてくるのです。人の弱さを見て腹を立てることもなくなっていきます。
この様にして神のために生きるとは、神の愛を受け取り、私たちの物差しを「人間的な標準」から「神の標準」に変えていくことなのです。こうして、新しい人生を歩めるようになるのです。
古いものは過ぎ去って、とあるとおり、神は私たちの過去の罪を赦し、もはやご覧になりません。このことを受け止めることができれば、喜びがあふれてくるでしょう。私たちには、こんな事も赦されるのか?と恐れを持つことがありますが、神はいつでも私たちと和解することを願っておられます。イエス様が十字架にかかってくださったのはそのためです。
『・・・ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、わたしたちが、このかたにあって、かみのぎとなるためです。』(新約聖書 第二コリント人への手紙 5:20,21)
|