『確かに今日までずっと人々の心にはおおいがかけられていて、モーセの律法が朗読されても、良く理解できないでいる。それでも、悔い改めて主に心が向けられるなら、そのおおいは心から取り除かれる。主は命を与えてくださる御霊であって、主の御霊のおられるところには、本当の自由がある。』(新約聖書 第2コリント人への手紙 3:15-17(現代訳)
私たちの心にかけられている「おおい」とは何でしょうか?
1.自分の価値を知らないこと
聖書には私たちは神の作品であると書かれています。神様は私たちをかけがえのない作品としてこの世に送り出したのです。しかし人は生まれながらにして自分の価値を知りません。ですから、自分の価値を知るために人からの評価を求めて生きてきました。しかし、人からの評価は一時的には心を満足させますが、やがて満たされなくなり、さらに評価されることを求め、心も体も疲れ果てていくのです。努力することは決して悪いことではありません。しかし、その目的が自分の栄光を求めることなら、それは虚しく、心のおおいとなってしまうのです。
2.自分の中の永遠のいのちを知らないこと
イエス・キリストを信じる者には永遠のいのちが約束されています。そのことを知ると、肉体の死は終わりではないことが分かり、希望を持つことができます。しかし、そのことを知らなければ、死は絶望でしかありません。ですから、人は死に対する恐れを和らげるために気を紛らわそうとしますが、恐れを完全に取り除くことはできません。
3.自分の中の恵みを知らないこと
神様は私たちを赦してくださる方です。私たちが正直に自分の罪を認めた時、神様は私たちを責めるのではなく、ただ赦してくださるのです。そのためにイエス・キリストが十字架にかかられたのです。ですから、私たちは恐れず、ありのままの自分で生きていくことができます。しかし、そのことを知らなければ、私たちは罰せられることを恐れ、自分の犯した罪や失敗を隠し、そのことが明らかにならないか、責められることがないかと、人の目を恐れてしまいます。これが人間の弱さです。
では、どうすれば心の覆いは取り除かれるのでしょうか。
『しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』1(新約聖書 第2コリント人への手紙 6〜18節)
私たちの心の目が神に向けられる時、おおいが取り除かれ、自由になります。それは私たちが自分の本当の価値、永遠のいのち、あふれる神の恵みを知るからです。私たちの罪は、イエス・キリストの十字架により2000年前に赦されているのです。私たちは、そのことを信じて赦された者となりました。それだけでなく、神の恵みは私たちの上に常にあふれ、私たちは成長し続けるのです。
社会におけるプラス思考は、マイナスであるところから出発し、悪いものを良いものにするという考え方ですが、神のプラス思考は「栄光から栄光へ」つまり、プラスからプラスへ、栄光ある者がさらに栄光ある者へと変えられるという考え方です。私たちをもともとプラスに見てくださる神の恵みの中で、私たちは平安と喜びの中で生きてゆけるのです。
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