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2003年4月6日 礼拝メッセージ
人はみな違う存在
(新約聖書 第一コリント人への手紙 12:25)

人はみな違う顔かたち、個性を持って生まれてきます。人間以外の動物は、区別するのも大変ですが、人間はその違いが明らかです。神が一人一人に違うものを与え、違うように作られたからです。

それは、私たちがキリストの体(教会)の中で、協力し合うためなのです。ちょうど、私たちの体が、それぞれ異なる器官が協力し合って体を維持し、機能させているのと同じです。

体の器官はどれも大切です。優劣のつけようがありません。同様に私たちの違いに優劣はありません。確かに人の目から見ると、華やかに見える働きと、地味な働きとがあるでしょう。しかしそれは神が与えた使命であり、あなたの価値とは何ら関係がありません。働きのために違いがあるのであって、価値のために違いがあるのではありません。

しかし、私たちは人と比べて優劣をつけたがります。それは、私たちが神との関係を絶たれた状態で生まれた、つまり、生きる意味を見失った状態で生まれてきたからです。ですから、私たちは自分の価値、生きる意味を見出すために人との比較の中で生きてきました。比較は人間に染みついた習性なのです。そして比較から争いが生じました。

神は私たちの内に争いが生じることも分かっていながら、あえて違う者に造られました。それはなぜでしょうか。聖書から3つの理由を知るができます。

1 一つ体であることを学ぶため
私たちは一人では何もできません。人はそれぞれの違いを価値の違いと勘違いしていますが、そうではなく、働き、役割の違いなのです。

2 いたわり合うことを学ぶため

『それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 12:25)

同じ者は一人としていないからこそ、一人一人が大切なのです。自分を大切にするということは、人を大切にすることです。その中で命の大切さを学ぶのです。

3 共に生きることを学ぶため

『もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。』(新約聖書 第一コリント人への手紙12:26-27)

共に生きていくことによって、私たちは謙遜を身につけることができます。

違いを比較するのをやめ、むしろその違いを一人一人が生かして生きてゆくなら、それは何とすばらしいことでしょう。



神木イエス・キリスト教会


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