『あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行ないをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。』(新約聖書
第一コリント人への手紙 5:1-4)
パウロはここで、コリントの教会にとって重要な問題を指摘し、速やかな解決を迫っています。その問題とは、ある人の不品行の罪を教会が黙認しているということです。パウロはその件で既に一度警告を与えていました。しかし、コリントの教会はそれに従わなかったので、ここで再度警告しているのです。
なぜパウロは繰り返し注意を与えているのでしょうか。それは一つの道徳的無感覚が、妥協を生み、成長を止め、やがてはキリストのからだを滅ぼしてしまうからです。ですから、誰かが罪を犯しているなら、教会は見て見ぬふりをしてはいけません。
『・・・私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。・・・』(新約聖書 第一コリント人への手紙 5:3-7)
この問題に対する解決は、罪を犯し続ける人をキリストの体から取り除くことです。これを教会戒規と呼びます。その目的は、罪を罰することではなく、その人が罪に気づき、悔い改め、霊が回復するためです。つまり、その人の回復のための愛の行為なのです。ですから、罪に対しては毅然とした態度で臨む必要があります。
しかし、今日の教会では、教会戒規は行われなくなりつつあります。私たちの属する社会でも、ちょっとした不正を見て見ぬふりをすることがあるのではないでしょうか。学校におけるいじめや、会社における不正を、皆が見て見ぬふりをしたことで、重大な事件に至るケースをよく耳にします。
見て見ぬふりをしてしまうのには3つの理由があります。それは、相手に拒絶されることの恐れ、報復の恐れ、分裂の恐れです。 こういった恐れによって、問題を先送りにしている限り、成長はありません。それは、すべての社会においても、教会においても同じです。
では、教会戒規について更に詳しく説明していきましょう。 教会戒規が行われるには、ステップがあります。特殊な場合を除き、罪が認められたらすぐにその人を教会から除名するということにはなりません。新約聖書マタイによる福音書18:15−17によると、以下のようなステップで行われます。
- 一対一で話し合う
誰かが罪を犯していることに気づいたら、他の人がいないところで、1対1で、罪を伝える必要があります。その際、気づいた人は柔和な心で、罪を犯した人のために祈りつつ、話をします。
ここで話を聞き入れず、罪を悔い改めない場合、次のステップに進みます。
- 教会スタッフ(役員、長老)を含めた2,3人で話をする。
複数の人の証言によって、自分の罪を自覚する場合もあります。
それでも聞き入れない場合は、
- 教会に任せる。牧師先生から直接話をする。
それでも聞き入れない場合は、
- 神に任せる。つまり、除名し、交わりを絶つということです。
『・・・私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。
私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。
外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 5:9-13)
ノンクリスチャンの人たちは、さばく対象ではなく、福音を伝える対象です。私たちが注意するべきなのは、教会内の兄弟姉妹に対してです。
では、どのような場合注意するべきなのでしょうか。 教会戒規が適用されるのは以下の罪です。
- 不道徳の罪
- 一致に反する罪(新約聖書ローマ人への手紙16:17)分裂は人間の集まりにおいて、必ず起きるものです。重要なのは、分裂が起きた時に処置をすることです。しかし、分派に対しては期限内にやめなければ即除名となります。
- 教理に反する罪 間違った聖書解釈を言い広めることは、教会を混乱させます。
除名―交わりを絶つというのは、悲しみを覚えるものです。しかし、そういった悲しみを覚えるほどに重大な罪であることを相手に伝えるものです。神の懲らしめは私たちを愛するがゆえ、私たちの回復のためです。
私たちは自分一人で完全になろうとしても無理です。不完全であることを認識し、罪を指摘されたなら、謙遜に聞く耳を持つ者、熱心に悔い改める者となりましょう。神はいつでも私たちの回復を願っておられます。
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