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2004年2月8日 礼拝メッセージ
2月 2日 『コリント人への手紙から学ぶこと 3後半』
(新約聖書 第一コリント人への手紙 3)


『アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。わたしたちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 3:5-9)



人々の関心は、常に人にあったので、自分は誰々につく、誰々の言うことを聞いておけば安心だ、といった具合でした。しかし、聖書は大切なのは成長させてくださった神だと教えています。

アポロ・パウロも神に言われたとおりに人々に仕えたにすぎず、彼らもキリストの体として一つなのです。人を偶像化してはいけません。そこからずれが生じます。


『与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台をを据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。

というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。 その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。

というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 3:10-15)



私たちの人生は建築に例えられます。イエス・キリストを信じる者すべては、「イエス・キリスト」という土台の上に建てられています。しかし、その土台の上にどのような家を建てていくかに、その人の生き方が表れます。金・銀・宝石で建てた家は、火の中を通っても残りました。それは価値あるもので建てたからです。

価値ある「金・銀・宝石」とは、三位一体の神を表わしています。すなわち、御霊によって家を建てるということです。御霊によって建てた家は決して焼け崩れることがなく、天国へ行ったときに、地上における働きの報いを受けられるのです。

一方、木・草・わらで建てた家はどうなったでしょう。火の中を通ったら焼き尽くされてしまいました。木・草・わらで建てるとは、人の肉の力によって建てるということです。ただ、建物は崩れても、イエス・キリストという土台は、どのような事があっても崩されませんので、天国へは行くことができますが、この地上で神によらず自分が好き勝手にやってきたことは何一つ残らないのです。

そのような生き方は虚しいものではないでしょうか。 聖書には、「どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。」と書かれています。聖書で「注意してください」と書かれていることは、本当に注意しなければなりません。では、私たちの人生を御霊によって建てるとは、どういうことなのでしょうか?


『・・・だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。・・・神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。・・・主は、知者の論議を無益だと知っておられる。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 3:18-20)


御霊によって建てるとは、御霊に導かれるということです。導きを知るためには、神の声を聞く者でなければなりません。自分を知者だ(正しい)と思っている人は、人の言うことに耳を傾けません。ですから、聖書は、「愚かになれ」(愚かであることを知れ)と言っているのです。では、どのように聞くことが大切なのでしょうか。

1) 聖書の教えに謙遜に耳を傾ける
「聖書にこう書いてあっても、私はそうは思わない。」これは最も危険な聖書の読み方です。この読み方が、歴史の中で、異端が生まれてきた背景なのです。神はあなたの意見は聞いていません。聖書の考えに意見するのは、神様より自分を上に置いていることになります。理解できない御言葉に出会った時は、無理に理解しようとせず、分からないままにしておくべきです。神は必要な時に私たちに理解させてくださいます。

2) 教会の教職者、スタッフの言葉に謙遜に耳を傾ける

3) 人々の言葉に謙遜に耳を傾ける
神様の言葉は、どんな人を通してでも語られます。主の声は、どこで語られるか分かりません。主はどこにでも働かれるという姿勢でいれば、謙遜に人の話に耳を傾けることができ、主の御心をキャッチすることが出来るのです。では私たちは、聞く耳のある者でしょうか。聞かない者の特徴をここで二つあげておきましょう。
  • すぐに怒りを表す
  • すぐに落ち込む
これらは全く違うように見えて、実は同じ心の状態です。怒りも落ち込みも、自分の世界に閉じこもり、耳を閉ざしている状態だからです。神は常に励ましているのにもかかわらず、それを聞かないで、否定的な思いを優先させている高慢な状態です。 怒ってしまった時、落ち込んでしまった時、自分が神に対して耳を閉ざしてしまっていることに気づいて早く抜け出すことが必要です。

また、聞く耳がないのに、「私には聞く耳がある」というのは、もっとたちの悪い状態です。 私たちは、主の前にいつも「聞く耳のある者にしてください」と祈っていこうではありませんか。ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。


『パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のもののです。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 3:21-23)


御霊によって導かれていくために、人を誇らないことは、とても大切です。なぜ、人は誇るのでしょう。それは、所有権が自分にあると思っているからです。上記の御言葉によると、結局すべては神のものなのです。あなたのすべては、あなたのものではなく、神のものなのです。自分が自分のものだと思うから、心配したり誇ったりするのです。あなたの抱えている心配事も、また、自慢もすべて主のものです。ですから誰も、人を誇ることは出来ません。

「すべては神のものだ」と悟ること、それが神様への信頼です。御霊の導きに耳を開き、価値ある人生を建てていきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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