『さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 3:1-2)
人の成長と同様、クリスチャンの歩みにも幼子の時期があり、大人へと成長を遂げていくものです。幼子の時期を、肉に属するクリスチャンと言い、大人へと成長したクリスチャンを御霊に属するクリスチャンと言います。それでは、それぞれの特徴を見ていきましょう。
| 幼子(肉に属する) |
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愛されていることが関心事
愛されているということを確認できる御言葉を好みます。 |
| 大人(御霊に属する) |
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成長することに関心事
世の中では、「何が出来るか」と言う評価で成長が量られますが、聖書は、自らの罪を発見することで成長すると教えています。自分の弱さや罪を発見できる御言葉に心が留まります。 |
『あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は、「私はアポロに。」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。』(新約聖書 第一コリント人への手紙 3:3-4)
コリントの教会は、幼子のクリスチャン(肉に属するクリスチャン)が多かったので、以下のような問題が起きていました。
- 妬みを持つ
- 争いがある
- 人に依存しようとする
人と自分を比べて妬んだり、争ったり、また、自分に同情し優しくしてくれる人が好きで、その人に依存したり、これらは「自分が愛されているかどうか」「自分が特別な存在かどうか」ということに関心があるがゆえの行いです。人に依存することは、危険なことです。自分で考えるよりも、人に言われたことをする方がラクですから、この人に従えば安心、と誰かに依存してしまうことが、新興宗教を生み出す土壌にもなっています。人につくという発想から早く抜け出し、自分で判断する大人になることが必要です。
幼子の特徴を一言で表すなら、よくつぶやくことです。 この様なたとえ話があります。
アメリカのある村で大雨が降り続き、川が氾濫したので、このままでは洪水が起こると避難勧告が出ました。さて、この村にある男がいました。この男、避難勧告が出ているにもかかわらず「俺は神に特別に愛されているから逃げない。神に信頼しているから、大丈夫だ。神は必ず助けてくれる。」と言って、自分の家から避難しませんでした。
しかし、雨は一向に降り止まず、段々と水かさが増し、とうとう、男は屋根に上らなくてはならなくなりました。そこへボートに乗った救助隊が彼を助けに来ました。「急いで、ボートに乗れ!」男は怒ってこういいました。「俺は神に愛されている。神が俺を助けてくれるんだ。俺はボートには乗らない!」ボートは引き返していきました。しばらくすると、今度はヘリコプターで救助隊が彼を助けに来ました。しかし彼は、「神が俺を助けてくれるんだ!」と言って、救助隊を追い返しました。
やがて、男は、水の勢いに負け、そのままおぼれ死んでしまいました。イエス・キリストを神だと信じていたこの男は、天国へ行きました。神様は男にこういいました。「おまえは何でこんなところにいるんだ」男は、神に向かって激怒しました。「神様、ひどいじゃないか。俺は神様が助けてくれると思ったから、ずっと待っていたんだ。それなのに、神様は助けてくれなかった。」
神様は言いました。「私は3度おまえを助けに行った。一度は、勧告を。二度目は、ボートで。3度目はヘリコプターで。それなのに、お前はそれに気がつかなかったのだ。」
この男性は、神様が助けてくれる方法を自分で勝手に決めて、その通りにならなければいけないと思っていました。幼子は、神に愛されているなら神は自分にこういう風にしてくれなければならない、とストーリーを決めて、その通りになるまでじっと待っています。そして、その通りにならないと当然のようにつぶやきます。
しかし、神様はこの男性を無視したのではなく、彼を愛しておられ、彼の祈りに答えられたのです。神様の答えはいつでも私たちの予測を超えています。自分の描くストーリーにこだわってしまうと、神の答えになかなか気がつかず、導かれることが出来ません。大人になるために、最も大切なことは、いつでも聞く耳を持つことです。
幼子の時代は誰にもあるものです。しかし、幼子のままであってはいけません。また、幼子であるにもかかわらず、背伸びをして大人ぶる必要はありません。幼子の時期がなければ、誰も大人になることは出来ないからです。幼子の時期はあって良いのです。しかし、いつまでも幼子のままであることは健全な姿ではありません。ですから、成長することを追い求めていきましょう。
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