人間の生きる原動力は何でしょうか?
自分の存在価値を認めてもらうことです。多くの人はその存在価値を人と比較することによって、見つけようとします。人より優れているとうれしいし、劣っていると落ち込む。しかし人と比較することでは、一時的に満足が与えられることはあっても、本当に自分が価値ある者とは思えるようにはならないのです。
たとえば、ノーベル文学書をもらった川端康成という作家は、文学の世界で最高の評価を受けたにもかかわらず、生きることに対して絶望し自ら命を絶ちました。他にも、地位や名声を受けた人の中には、自らの命を絶った人たちがいます。
どうしてでしょうか?あれだけの評価を得ていたにもかかわらず、なぜ自らの命を絶つのでしょうか?それは、比較の世界のなかでは、本当の自分の存在価値を見つけることが出来ないからです。聖書では、比較の世界とまったく別の世界があることを教えています。それは、恵みの世界(他人との比較で評価をしない世界)です。
なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」 (新約聖書 ローマ人への手紙 3:23-24)
では、どうしたら恵みの世界に生きることができるのでしょうか?
1.自分が比較の世界にいる時のしるしに気づくこと
自分が他人と比較してしまうことを理解し、比較してしまうときのしるしを見極めることです。比較をやめるようにしなければなりません。肉の行ないは明白であって、次のようなものです。
「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」 (新約聖書 ガラテア人への手紙 5:19-20)
そのような行いや思いが出てきてしまうときは、自分が比較の世界にいる時です。
2.神はどのような基準で見ているのか、ということを理解すること
神様は、人の行いが不完全だからといって、そのことで評価する方ではありません。行いが不完全であっても、完全な者であるという評価をいただくことが出来るのです。イエス・キリストを救い主として信じる者にはそのような評価が神様から与えられるのです。これを恵みといいます。努力して得る評価は報酬ですが、一方的に良いと与えられる評価は恵みといいます。この恵みを知ったのであれば、他の人と比較する必要はないのです。
3.弱さを隠さないことです。
自分の中にある弱さ、罪を理解することが大切です。神様は私たちの良いところも悪いところもすべてご存じです。他人の前では隠すことの出来る弱さや罪も、神様の前には隠すことは出来ませんし、隠す必要もありません。神様は私たちのすべてのことを知っておられ、その上で、愛してくださるのです。
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(新約聖書 コリント人への手紙II 12:9)
神様には、自分の弱さや罪を大いに告白しましょう。その中に神様の恵みが現れます。人前では、弱さや罪を隠しつっぱって生きていても、神様の前ではありのままで生きていきましょう。そして恵みの世界の中を歩んでいきましょう。
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