あなたの心は、嫉妬心や競争心で疲れてはいませんか。人が自分にないものをもっていると羨ましく思えたり、誰かと自分を比べて、自分はたいした人間ではないと落ち込んだり、あるいは自分が優位に立つと満足したり…。
これは、人間の価値をその人の行いよって決めようとする考えから生まれてくる感情です。誰も自分が価値のない人間だなどと思いたくはありません。ですから、誰かの役に立っていること、誰かよりも優れていることを、いつも確認したいのです。
そのような生き方によって、私たちは、知らず知らずのうちに、他人と自分とをいつも比較し、嫉妬心や競争心を掻き立てられています。そして、そういう心を誰にも知られないように、心にふたをして、隠そうとして生きています。
聖書は、このような「行いの世界に生きる生き方」から、「恵みの世界に生きる生き方」に変わることを私達に教えています。
行いの世界に生きる人は、人の行いや自分の行いに心が左右されます。喜んだり悲しんだり、文句を言ったり感謝したり、憎んだり赦したり…。常に行いに振り回され、疲れてしまうのです。恵みの世界に生きる人は、人の中、自分の中、自然の中、ありとあらゆるところから神の恵みを見つけては感謝します。比較ではなく、すでに与えられている恵みに気づいて、感謝する生き方です。
「良い人は、良い倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪い倉から悪いものを取り出すものです。」(新約聖書 マタイによる福音書12:35)
誰の心の中にも、良い倉と悪い倉があります。どちらから物を取り出すかが大切なのです。悪い倉の中には、悪いもの――悪口、人への中傷、自己卑下、自己批判、文句、不平不満など――が入っています。これらは行いに生きる生き方、比較から生まれるものです。
悪い倉から悪いものを取り出したり、悪いものを貯めたりすることをやめましょう。それは具体的には、
ことです。あなたは人の悪口や批判を喜んで聞いていることはないでしょうか。悪い倉から取り出すのをやめれば、良い倉の扉が開きます。
良い倉は、神の恵みにあふれています。行いに目をとめていると、その恵みが目に入ってきません。行いから目をそらすなら、あなたの目は、神の恵みを見つけます。
蛙の目は、動いているものしか認識しないようにできています。蛙にとっては、動かないものは、そこにあることすら気づきません。人間の目にも、紫外線や赤外線のように、肉眼では見えない光があります。
同じように、行いの世界に生きる人は、行いに心が反応し、そこにある恵みに気がつかないものです。恵みの世界に生きる人は、心が神の恵みに反応し、感謝にあふれます。
悪い倉からものを取り出すのを少しやめて、神の恵みをさがしてみましょう。
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